2010年5月31日月曜日

最近の想い。

竹中労さんが、書かれた本「断影 大杉栄」と言う本の中に以下の記述があります。
最近、特に想うことであります。
今流行り(!?)の<青春ドラマ>みたいな言葉ではないよ(笑)。

「指導・査問・私形・除名、余談だが日共にかつて属していた筆者は、大正アナキズムの同志に対する無限の 寛容を想う。たとえその寛容さゆえに、ボルシェビィキとの争いに敗退したとしても(左翼運動史家はおおむねそうした観点にたっている)、<革命の隊伍>は仲間への絶対の信頼の上にきずかれ、結ばれねばならぬのだ、と。規律とは内発する個別の意志によるものであって、組織の決定や指導部の命令に強制されるものではない。(194ページ)」


誰それよりどうのこうのとしか、勝ち負けにしか思えない事には、ホントうんざりです。
<こよない(=このうえない)生>は、至るトコに。
<こよない闘い>は、至るトコに。
見えない生/死・見ない生/死は至るトコに。
キレイ事かもしれないし、いい人ぶってると思われるかもしれませんが、自分の想いです。
そして、何よりもそんな事を「仲間」に教えて頂き、自分は今日も生きてる。

この瞬間にも<ヤツラ>は肥えてるのに、自分自身で「われわれ」をしぼませてどうするんだ!?
(gotcha1977)

2010年5月23日日曜日

ついに放たれました・・・。




http://acclaimcollective.blogspot.com/2010/05/100-prot-estera-gotcha-split-10-acm006.html

「抗議」とは、「feel,taste,love life by OURSELVES」であり、「feel,taste,love life by OURSELVES」とは「抗議」である。とジャケを見ながら自分なりに解釈し、自分自身に改めて刻みました。
言辞としては陳腐、実行としては新鮮にし続ける「われわれ」の「抗議」かな~と。
こんな事を改めて思ったのも、身内ノリじゃなく、世界のパンクス達によってです。

ちなみにGOTCHAサイドのジャケは、「塗り絵」に出来るかも~とさっきジャケ担当の方と話しました(笑)。

今、尋常じゃない落ち着きのなさ興奮なんで、さっきメンバーの2人に「落ち着け!!」と言われました(笑)。

と言うかGOTCHA一同、リリースして頂き、Protesteraと引き合わせてくれたA-cclaim collectiveは勿論の事、色んな方々への感謝の念で身体中がたまらなくなってます。
(gotcha1977)

2010年5月19日水曜日

明日か・・・。

http://acclaimcollective.blogspot.com/2010/05/acclaim-new-releases-protestera-gotcha.html

GOTCHAを聞きたい訳ではない方々もいると思うので、こういう言い方は厚かましい言い方かもしれませんが、取り扱いをして下さるレコード屋さん・ディストロの方々、すでに予約してくれた方々、どうもありがとうございます!!!!!

respect to all fighters who dare to reclaim our life at our world!!!!!
という事を思わせてくれる「パンクス」のみなさん、どうもありがとうございます。
(GOTCHA一同)

2010年5月17日月曜日

否、否、否、このままにいつまでかあらん。

今日のタイトルの言葉は、最近、特に思う事です。
別に浸ってません。いややはり浸ってるのかもしれない・・・。

今日のタイトルの言葉は、大杉さんの「籐椅子の上にて」という文章に出てくる言葉であります。
自分自身の事であります。
椅子の上にいて、ただ自己満足に浸ってるだけじゃないか、ただ<おしゃべり>してるだけではないか!?と問い詰めるわけであります。
「アナキスト」の方々の言葉がどうのこうのとか、紹介しながら、「行為をもって対抗しろ!行為をもって応答しろ!」はどこへ行ったんだ!?と。

そして他者と何も「共有」出来ないまま自分は、「われわれ」をしぼませていくのだろうか!?そうなのか、自分自身よ!?同志よ!?

ああ、わが思想、わがことばの、すべてそのままわがおこないとならざる悲しさよ、
 げにも空虚なるわがいのち
。」
と思いながら、また自分はただ浸るだけなのだろうか・・・。
(gotcha1977)