2013年12月11日水曜日

いつか世界は輝くでしょうと歌い続ける・・・(BUCK-TICK・RAIN)

みなさん、こんばんは。

今の情況がどうのこうのとかではなく、いつも今日のタイトルの言葉は信じたい!!と思います。
敬愛している友人の一人は、「デモとは、一種の歩き念仏」みたいな事を言っていましたが、自分もそう思います。
「信仰みたいなものか!?」と言われたら、「そうだ!!信じたい!!」と,
はっきり答えたいと思います。

はっきり言わせてもらうと、悔しくてたまらなくなる。
人間の存在の意味が、可能性が、多様性が、それぞれのある一つの幻想性に制限されることが。

柳田国男さんの言葉「未来を愛すべきこと」とドゥルーズさんの言葉「世界の存在を信じること」を安易に結ぶ事は、思想的には意味が違うでしょうが、そんな2つの言葉が自分の中では結び合います。

ドゥルーズさんは、「スピノザ・実践の哲学」という本の中で、以下の言葉を紹介しています。
思うに芸術家も学者も哲学者たちも、みんなあくせくとレンズ磨きに精を出しているのではなかろうか。それらすべては、いまだかつて起こらない出来事のための果てしない準備でしかない。いつかそのレンズは完成されるだろう。そして、その日にこそ私たち誰の眼にもはっきりと、この世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさが見てとれることだろう・・・(ヘンリーミラー)」

その一方で(だからこそかな)、今日のタイトルのRAINという曲には「君を悲しませるつもりじゃない・・そうじゃないのに」という言葉があり、個人的には、橋川文三さんが書かれた<歴史のアポリア>という文章の中の「歴史の中の人間の問題性」という大きな問題を考えさせられます。
自分は、「国家の中の人間の問題性」と思いました。

また最近、読んでいる橋川文三さん対談・講演集「時代と予見」と題された本の中の以下の二つの所は、何とも言えない気持ちになり、そして悔しくなり、それでも!!こういう言葉を吐く人間がいた事を、そして今もいる事を実感しています。「思想・人間の原点」を信じる。

長くなりますが、その二つを掲載します。

①一つは、その「時代と予見」に収録されている、<靖国思想の成立と変容(1974年)>という講演の以下の所です、

「この木村久夫(*<世紀の遺書>にも<きけわだつみのこえ>にも、共通の名を留めている戦犯死刑囚の方)の遺書の中で、私がここでとくに引用したいのは、実は次のような一節にすぎません。それは靖国思想を考えるための非常に適切な出発点になるし、日本人の死生観のもっとも純粋な象徴でもあるようにずうっと前から私は考えているからです。

私の葬儀などは簡単にやって下さい。ほんの野辺送りの程度で結構です。盛大は却って私の気持ちに反します。墓石は祖母様の横に立てて下さい。そこからは遠く吹田の放送局や操車場の広々とした景色が見えましたね。お盆の時、法生詣りして、遠くの花壇でうち上げられる花火を遠望したことを思ひ出します。
私の仏前及び墓前には、従来の供花よりも<ダリヤ>や<チューリップ>などの華やかな洋花を供えて下さい。これは私の心を象徴するものであり、死後はことに華やかに明るくやって行きたい。と思います。
美味しい洋菓子もどっさり供えて下さい。私の頭に残っている仏壇はあまりにも静かすぎた。
私の仏前はもっと明るく華やかなものでありたい。
仏道に反するかもしれないが仏になる私が願うことだからよいでしょう。
そして私一人の希望としては、私の死んだ日よりはむしろ私の誕生日である4月9日を仏前で祝って欲しいと思います。
私は死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは、ただ、私の生まれた日だけであって欲しいと思います。』

木村はここで死をよりも、生まれた日によって記憶されたいという一見不思議な願望をのべております。
そこに日本人の古くからの生れかわりの願望の反映がみられるように私は思いますが、その願い以外に、国家や靖国やのことは全く彼の意識に浮んでいないことがわかります。
国家や軍隊や靖国がいかに表面神々しい装いをもっておろうと、およそ人間であることの純粋な希望とはかかわりをもたないということをこの聡明な青年は見抜いていることを私は感じます。
少しむずかしく言えば、日本人の国家信仰に古くからひそんでいるアニミズム的な共同体霊の信仰からこの人は抜け出しております。
だから自分の家族にはもとより、およそすべての人類にとっても共通の喜びである生誕の日によって記憶されたいと願っているわけです。
墓前のダリヤたチューリップは、そのような新しい願望のシンボルではないかと私は思います。

それからこの<世紀の遺書>には、何人かの朝鮮、台湾民族の兵士、軍属の遺書ものっています。なかでも開城出身の軍属趙文相という人の遺書にある次の一節は、日本人のそれとはことなったある開かれた思想を暗示していると思います。

あの世ではまさか朝鮮人とか、日本人とかいう区別はないでしょうね、と金子咏嘆声。浮世のはかなき時間に何故相反し、相憎まねばならないのだろう。日本人も朝鮮人もないのだ。
皆東洋人じゃないか、いや西洋人だって同じだ。ああ明日は朗らかに行こう。』

くりかえすようになりますが、日本軍とともに行動した多くの異民族の魂も祀り、慰めるという発想が神社の側に欠如しているかぎり、靖国といってもそれは日本人限りの部神信仰に帰ってしまうはずです。
木村久夫の場合には、それを超える思想の原点が見られるのではないかと私は思うわけです。」


②もう一つ掲載する所は、<生活・思想・学問(1970年)>と題された講演の中の以下の所です、

「・・・今までの話のしめくくりになるかもしれないので、柳田さんのある言葉を紹介しておきます。

人間は動物だ。しかし人間は、神を思い、死後を信じ、そして自分たちの努力でどこまでも社会を改造していける、賢い動物である。そしてそれ以上のものではない。』という意味の言葉です。

 私が<生活・思想・学問>ということを貫いていえることは、さっき正宗白鳥と小林秀雄の論争を紹介しましたけれども、たしかに正宗のいうように、思想というものは人間の役に立たないかもしれない。しかし、人間が神を思いうる。これは必ずしも宗教的な意味ではございません。
私は、特定の宗教の神を指さないでいいと思います。柳田さんという人も、宗教心、宗教的感受性はもってはいましたけれども信仰者ではない。宗教家ではなかったわけです。
宗教心といいますか、宗教傾向は非常に豊かにもった人ですが、何か特定の神様を信じたとかいうことはありません。
神を信じるということは、中江丑吉さん流にいえば、人類、ヒューマニティーです。
これを信じるということと同じであると思います。
そして死後をまた思いうるということは、人間の歴史に対する信頼です。それを示していると思います。
だから私は、<生活・思想・学問>をとおして、それが今いった意味で神に通じる、つまり人間の歴史への信頼をよび起こすものであるというのが決定的なことで、いわゆる学者とよばれたり、思想家とよばれたりする必要はあまりないわけです。
(中略)
普通の人間、中江さん流にいうとコンモンマン、コンモンな生き方をしている人間の中に実は、いわゆる学者先生、いわゆる思想家、評論家先生よりも本物の思想が流れてがいることがあるんだという意味だと思います。
皆さん自身も、まさにヒューマニティーとして生きているわけです。
そこから出発して、皆さん自身のスタイル、思想、学問をつくり出されんことを期待して、おしまいにします。」

以上、掲載終わり。
こういう言葉を読んだり、先日久しぶりに会った友人達 (ホントにいい夜でした、ありがとうございました!!)の言葉を思ったりすると、
毎日、悦に入っている<ヤツラ>が発する言葉を許している自分自身を許せなくなる。

そんな今日の音楽は、先日このブログでも紹介させて頂きました、
URBAN HEAD RAWの新作です。
この音源を一足早く聴かせて頂いた時、ホントに動かされました。人間が創る音楽を信じる!!と思わされました。



それでは、また。

(gotcha1977)