2024年9月23日月曜日

落差

 メディアで「反日」と言う言葉が踊る時、「歴史」の欠如だと思う。

この地においても日々「恐怖」を感じている方々がいると言うことを少しでも忘れたくはない。

忘れること、忘れられることは、「特権」。

声を聴き分ける「権力」。

沖縄での性暴力に対して、「国家」は!?

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=3397748577022212&id=100003613103146


1923年は!?端島は!?「日本人」以外の被爆者は!?

https://yukito-ashibe.hatenablog.com/entry/2024/09/08/110624

https://takase.hatenablog.jp/entry/20240921

2024年9月8日日曜日

何を持って唄う!?

 https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/9b6cb635d39b5bffdd487e0335de7da7

この記事を読んでいて思った。愛の唄は、この地において、そこに収斂するのか?

「戦後」、在韓在朝の被曝者の方々は、置き去りにされたのではないか?

メジャー云々ではなく、この地における音楽などはどうだ!?そこに収斂するのか?しないのか?関係ないと歴史を放棄するか?


2024年9月4日水曜日

この地における歴史を見つめる 。1923年、群馬の森、端島etc

 https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/b1d0ad8a8a74e030b5ec223d67f352e4

 岡氏 (台湾の霧社事件1930年、満州の平頂山事件1932年に触れて)こうした歴史が各地にある。私たちが私たち自身の過去を知っていたら、パレスチナについても別の見方が生まれるはずなのに、そのような歴史的な視野をもつことが、意図的に阻まれているような気がします。