2009年8月6日木曜日

夏の深夜の読書感想文、パート2。

こちらも段々暑くなってきました。どうもgotcha1977です。小学生の頃とか、夏はいつも白球を追いかける少年だった自分です・・・(笑)甲子園に行きたかったんです、憧れの高校のユニフォームを着て・・・。
それはさて置き。拙い、あまりにも拙すぎる読書感想文の第2弾です。添削どうぞ宜しくです~(笑)

最近は、高橋和巳さんの本に続いて、埴谷雄高さんの以下の本を読んでます。

以前に読んだ事があったんですが、今また再読したい気持ちになりました。

この本の中の多くの言葉が、凄く刺激的です。「死」・「革命」・「デモ」・「敵と味方」・「認識力(は味方のなかの味方)」・「自己革命」・「反議会主義」・「自立性(自律性)」・「永久革命」などなどですが、一貫して貫ぬいてるのは、「国家」と「権力関係」についてです。
その事に関する言葉が、自分自身がバネになっている状況(闇)の今この瞬間における自分の在り様をえぐります。
またそういうバネになることが、「闇(埴谷さんは無限の虚無と空虚が重なりあってる<灰色>という言葉を使ってます。フーコーさんならマクロ権力とミクロ権力という事でしょうか。)」が嫌なら、<逃走>すればいいと言うのではなく、あくまで「われわれになるために」、「現実と現実を繋ぐ」ために、あくまでその闇に留まり、挑戦し続ける事が出来るのか!?と。

われわれが或るものの発展のかたちを正確に見るとは、存在の巨大な灰色の領域に向いあって、部分を背後の全体のなかに置く大きな透視図のかたちとして見ることであって、もし問題を全体の透視図のなかに置いて見るのではなく、単に仲間のあいだの虚勢と誇示の使用のためだけにとどまるのであれば、このような問題のさらなる提出と追求も恐らくは全く無意味となってしまうだろう。人事の表面など気にせずに闇に閉ざされたものの核心のなかへひたすらはいりこむべき~~(註:ここには人物名がありますが、自分の名前に置き換え可能です)の決定的な自己革命を希求する。(闇の中の自己革命より)」

この文章からは、「仲間」内だけの自己満足の現実と現実を繋ぐではなく、現実と現実を繋ぐとは何か!?サークルAとは何か!?あらゆる所にある!!権力関係を無化するとは何か!?を考えさせられ、「アナーコパンクスです」と自分を呼称する事の意味を深く考えてしまいます。自分で自分自身に「お前、何がどうで、今何をしていて、アナーコパンクスを名乗るのか!?<免罪符>を求めてるだけではないか!?」と言った想いです・・・。近くの方々とさえ現実と現実も繋げてないのに、サークルAだ、アナーコパンクスだとか云々する事に自分自身で自分にイライラします。「サークルA!?アナーコパンクス!?笑わせんじゃねえぞ、お前!!」みたいな・・・。

「現実と現実を繋ぐ、自治の世界へ」とは、埴谷さんの言葉を借りれば「長い、長い、圧縮の期間を要すると思われる」です。その過程に必要な事は、「逆転力を秘めた階級的視野」といつでもどこでもある権力関係という蜘蛛の巣に絡めとられない「徹底した自発性」だと思います。
CRASSの言葉を借りれば、「there is no authority but yourself」を偽らずにいかに持続できる関係性を築く事が出来るのか、そしてその関係性からいかに「fight war,not wars」に出来るのか!?と。

there is~を埴谷さんの言葉で言えば、「偏見」「陰謀的思考」という事かもしれません(今の状況にも通じます)。1960年に書かれた「6月の革命なき革命」という文章にこういう記述があります。
この抵抗と連帯の時期にデモの一員としてここにあることは当然の任務というのは疑いない実感であったが、とてもデモなどしておられぬ、この容易ならぬ瞬間の真っ只中で精魂をつくして考えるべきことがまだうんとあるというのも、そのとき、私の内部に起こった強烈な実感なのであった。私がデモのなかよりデモの傍らを歩きながらなおぎりぎりと頭蓋をしぼって考える陰謀的空論家たらざるを得ないのは、一つには私の胸裡に謂わば古くから医しがたいこしつとなっている<偏見>があるからである。(略)この大衆行動の内部に育まれ成長しつつあるものをただ国会正常化のための支柱と見ることは私の<偏見>が許さないのである。」

<偏見>と<偏見>が重なる事は、可能か!?という事を試しみる事こそが大切だと思います。<分かり易い>言葉の羅列ではなく・・・。だからこそ、「長い、長い・・・」んだと思います。

それからよく<答えはない>という言葉を聞きますが、この本の中でも引用されていたバクーニンさんの言葉「国家とは、その本質上、国際的連帯の破壊を意味し、従って不断の戦争の原因となるものである。」という答えは堅持すべきです。国家に絡め取られている自分達という自覚から、どのような「闘い方」があるかには答えはないと思いますが。
埴谷さんの言葉を借りますと、「すべてが砂嵐のなかでの模索からの出発であり、果てもない砂の波の上を進みつづける試行錯誤の積み重ねにほかならないのである。」

またこの上記のバクーニンさんの言葉から、あらゆる権力関係を無化する闘い(力の再配置)、自分達自身の生を取り戻す闘い、自由を求める闘いとしての、「国家を拒否する永久革命」というアナキスト向井孝さんの言葉を改めて強く今日(ヒロシマの6日という意味ではなく、対面した事ない向井さんの日という意味です)に思い出しました!!

そんな今日の音楽は、久しぶりにこの二つです。
一つは、アメリカの3ピース(ガールズ)アナーコパンクHarum Scarumです。多くのパンクスが、このパンクスの想いには影響受けたと思いますが、自分達Gotchaも凄く影響受けたバンドです。

レビューは、以下のパンク同志のレビューをどうぞ(笑)!!自分で書けよ、という感じですが・・・。
是非、パンクス以外の方にも読んで頂きたいです!!!!!
http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/this-weeks-recommendation-from-acclaim_13.html
自分の「歴史的規定性を自覚」した上で、さらにバクーニンさんの言葉を借りれば「他者の自由は、私をさらに自由にする」の試み、オトシマエをいかに出来るのか!?を考えさせれるパンクス達の曲の数々だと思います。

それともう一つの音楽は、ポーランドのアナーコパンクBIALA GORACZKAの3rdアルバムです。

この時期だからではない(前回の記事の中のナガサキでも触れましたが)、なぜならアナーコパンクスNさんの言葉を借りれば、「我々は巨大資本の側から分断支配という戦争を間断なく仕掛けられ、守勢に立たされてきたのである。」だし、「戦争は戦場にだけあるのではない。我々が日々依存しなければならない経済的諸関係そのものが一つの戦場である。」
「プロレタリアートに祖国なし」という意味で、このパンクス達の曲「NO WAR IN MY NAME」という曲・想いは凄く燃えます!!!!!no war,but class war!!!!!



***それから!!ポーランドだからというのではなく、「この地」に置いて!という意味で、大阪の「自由労働者連合(FWF)」は、自分がこういう言葉を吐くのはおこがましいですが、重要な提起をつねにしてると思います***。http://federaciodechifonproletoj.wordpress.com/
ちなみにポーランド云々については、以下の2つの記事を。
1.http://federaciodechifonproletoj.wordpress.com/2009/06/27/%e2%98%85rozbrat-dvd%e3%80%81%e5%87%ba%e8%8d%b7%ef%bc%81/

2.http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/08/new-distro-items-83.html