2013年12月11日水曜日

いつか世界は輝くでしょうと歌い続ける・・・(BUCK-TICK・RAIN)

みなさん、こんばんは。

今の情況がどうのこうのとかではなく、いつも今日のタイトルの言葉は信じたい!!と思います。
敬愛している友人の一人は、「デモとは、一種の歩き念仏」みたいな事を言っていましたが、自分もそう思います。
「信仰みたいなものか!?」と言われたら、「そうだ!!信じたい!!」と,
はっきり答えたいと思います。

はっきり言わせてもらうと、悔しくてたまらなくなる。
人間の存在の意味が、可能性が、多様性が、それぞれのある一つの幻想性に制限されることが。

柳田国男さんの言葉「未来を愛すべきこと」とドゥルーズさんの言葉「世界の存在を信じること」を安易に結ぶ事は、思想的には意味が違うでしょうが、そんな2つの言葉が自分の中では結び合います。

ドゥルーズさんは、「スピノザ・実践の哲学」という本の中で、以下の言葉を紹介しています。
思うに芸術家も学者も哲学者たちも、みんなあくせくとレンズ磨きに精を出しているのではなかろうか。それらすべては、いまだかつて起こらない出来事のための果てしない準備でしかない。いつかそのレンズは完成されるだろう。そして、その日にこそ私たち誰の眼にもはっきりと、この世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさが見てとれることだろう・・・(ヘンリーミラー)」

その一方で(だからこそかな)、今日のタイトルのRAINという曲には「君を悲しませるつもりじゃない・・そうじゃないのに」という言葉があり、個人的には、橋川文三さんが書かれた<歴史のアポリア>という文章の中の「歴史の中の人間の問題性」という大きな問題を考えさせられます。
自分は、「国家の中の人間の問題性」と思いました。

また最近、読んでいる橋川文三さん対談・講演集「時代と予見」と題された本の中の以下の二つの所は、何とも言えない気持ちになり、そして悔しくなり、それでも!!こういう言葉を吐く人間がいた事を、そして今もいる事を実感しています。「思想・人間の原点」を信じる。

長くなりますが、その二つを掲載します。

①一つは、その「時代と予見」に収録されている、<靖国思想の成立と変容(1974年)>という講演の以下の所です、

「この木村久夫(*<世紀の遺書>にも<きけわだつみのこえ>にも、共通の名を留めている戦犯死刑囚の方)の遺書の中で、私がここでとくに引用したいのは、実は次のような一節にすぎません。それは靖国思想を考えるための非常に適切な出発点になるし、日本人の死生観のもっとも純粋な象徴でもあるようにずうっと前から私は考えているからです。

私の葬儀などは簡単にやって下さい。ほんの野辺送りの程度で結構です。盛大は却って私の気持ちに反します。墓石は祖母様の横に立てて下さい。そこからは遠く吹田の放送局や操車場の広々とした景色が見えましたね。お盆の時、法生詣りして、遠くの花壇でうち上げられる花火を遠望したことを思ひ出します。
私の仏前及び墓前には、従来の供花よりも<ダリヤ>や<チューリップ>などの華やかな洋花を供えて下さい。これは私の心を象徴するものであり、死後はことに華やかに明るくやって行きたい。と思います。
美味しい洋菓子もどっさり供えて下さい。私の頭に残っている仏壇はあまりにも静かすぎた。
私の仏前はもっと明るく華やかなものでありたい。
仏道に反するかもしれないが仏になる私が願うことだからよいでしょう。
そして私一人の希望としては、私の死んだ日よりはむしろ私の誕生日である4月9日を仏前で祝って欲しいと思います。
私は死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは、ただ、私の生まれた日だけであって欲しいと思います。』

木村はここで死をよりも、生まれた日によって記憶されたいという一見不思議な願望をのべております。
そこに日本人の古くからの生れかわりの願望の反映がみられるように私は思いますが、その願い以外に、国家や靖国やのことは全く彼の意識に浮んでいないことがわかります。
国家や軍隊や靖国がいかに表面神々しい装いをもっておろうと、およそ人間であることの純粋な希望とはかかわりをもたないということをこの聡明な青年は見抜いていることを私は感じます。
少しむずかしく言えば、日本人の国家信仰に古くからひそんでいるアニミズム的な共同体霊の信仰からこの人は抜け出しております。
だから自分の家族にはもとより、およそすべての人類にとっても共通の喜びである生誕の日によって記憶されたいと願っているわけです。
墓前のダリヤたチューリップは、そのような新しい願望のシンボルではないかと私は思います。

それからこの<世紀の遺書>には、何人かの朝鮮、台湾民族の兵士、軍属の遺書ものっています。なかでも開城出身の軍属趙文相という人の遺書にある次の一節は、日本人のそれとはことなったある開かれた思想を暗示していると思います。

あの世ではまさか朝鮮人とか、日本人とかいう区別はないでしょうね、と金子咏嘆声。浮世のはかなき時間に何故相反し、相憎まねばならないのだろう。日本人も朝鮮人もないのだ。
皆東洋人じゃないか、いや西洋人だって同じだ。ああ明日は朗らかに行こう。』

くりかえすようになりますが、日本軍とともに行動した多くの異民族の魂も祀り、慰めるという発想が神社の側に欠如しているかぎり、靖国といってもそれは日本人限りの部神信仰に帰ってしまうはずです。
木村久夫の場合には、それを超える思想の原点が見られるのではないかと私は思うわけです。」


②もう一つ掲載する所は、<生活・思想・学問(1970年)>と題された講演の中の以下の所です、

「・・・今までの話のしめくくりになるかもしれないので、柳田さんのある言葉を紹介しておきます。

人間は動物だ。しかし人間は、神を思い、死後を信じ、そして自分たちの努力でどこまでも社会を改造していける、賢い動物である。そしてそれ以上のものではない。』という意味の言葉です。

 私が<生活・思想・学問>ということを貫いていえることは、さっき正宗白鳥と小林秀雄の論争を紹介しましたけれども、たしかに正宗のいうように、思想というものは人間の役に立たないかもしれない。しかし、人間が神を思いうる。これは必ずしも宗教的な意味ではございません。
私は、特定の宗教の神を指さないでいいと思います。柳田さんという人も、宗教心、宗教的感受性はもってはいましたけれども信仰者ではない。宗教家ではなかったわけです。
宗教心といいますか、宗教傾向は非常に豊かにもった人ですが、何か特定の神様を信じたとかいうことはありません。
神を信じるということは、中江丑吉さん流にいえば、人類、ヒューマニティーです。
これを信じるということと同じであると思います。
そして死後をまた思いうるということは、人間の歴史に対する信頼です。それを示していると思います。
だから私は、<生活・思想・学問>をとおして、それが今いった意味で神に通じる、つまり人間の歴史への信頼をよび起こすものであるというのが決定的なことで、いわゆる学者とよばれたり、思想家とよばれたりする必要はあまりないわけです。
(中略)
普通の人間、中江さん流にいうとコンモンマン、コンモンな生き方をしている人間の中に実は、いわゆる学者先生、いわゆる思想家、評論家先生よりも本物の思想が流れてがいることがあるんだという意味だと思います。
皆さん自身も、まさにヒューマニティーとして生きているわけです。
そこから出発して、皆さん自身のスタイル、思想、学問をつくり出されんことを期待して、おしまいにします。」

以上、掲載終わり。
こういう言葉を読んだり、先日久しぶりに会った友人達 (ホントにいい夜でした、ありがとうございました!!)の言葉を思ったりすると、
毎日、悦に入っている<ヤツラ>が発する言葉を許している自分自身を許せなくなる。

そんな今日の音楽は、先日このブログでも紹介させて頂きました、
URBAN HEAD RAWの新作です。
この音源を一足早く聴かせて頂いた時、ホントに動かされました。人間が創る音楽を信じる!!と思わされました。



それでは、また。

(gotcha1977)




2013年11月22日金曜日

田原坂・西南戦争と宮崎兄弟。

みなさん、お久しぶりです。

今日のタイトルに関連して、先日、熊本に行きました。
植木町にある「田原坂」とその資料館などと、荒尾市にある「宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館」へ。

田原坂は、小学生の時から行ってみたい所でした。
自分が小学生の時、年末時代劇スペシャルみたいな番組が毎年あり、その中の一つに田原坂と題されたドラマがあったからです。
「白虎隊」・「田原坂」・「五稜郭」・「奇兵隊」というタイトルがついた一連のそのスペシャル番組は、ビデオに録り、何回も見ました。
小学生の時の修学旅行は、熊本だったのですが、阿蘇山と熊本城とグリーンランドだったと思うんですが、田原坂が行くコースになくてガッカリした事を覚えています。
でも熊本城の中の展示コーナーに西南戦争関連が結構あって、興奮したことを覚えています。

歴史好き(この言葉の使い方もおかしいですが、歴史が好きとは何か!?とか今なら考えますが・・・)になったのもこの年末時代劇のおかげで、それから、マンガ日本の歴史とか星亮一さんが書かれた會津藩関連のものや新選組関連のものや高杉晋作さん関連のものの本を読みました。

多分、あんまり意味も解らず読んでいたと思うんですが、そのテレビドラマに出てた歴史上の人物の詳しい情報に触れると興奮したんでしょうね・・・。なんか次々に買って貰っていたような気がします。
ドラマ・田原坂にも出てくる乃木大将を扱った司馬さんの小説「殉死」を買ったのもこの頃だと思います。
多分、というか絶対に意味が解らずに読んだと思いますが、「なんで旗を取られたくらいで死ぬ原因になるのかな!?」とは思ったから、読もうと思ったとは思います。
司馬さんで読んだ事あるのは、新選組の土方歳三さんを扱った小説「燃えよ剣」くらいです(だから司馬史観とか呼ばれるものはわからない)。
これもドラマ・五稜郭の影響で読みました。

またドラマ・奇兵隊を見た影響で高杉晋作さんとかの伝記本を読んでいたので、中学1年の研修旅行で、初めて萩に行った時はホントに興奮しました。
今年の夏頃、何年かぶりに行きました。
まず萩の中で訪れたのは、西南戦争にも関連(!?)しますが、前原一誠さんの旧宅でした。
それから高杉さんちとか桂さんちとか歴史資料館とか巡りました。

巡りながら考えていた事は、高杉さんとか吉田松陰さんとか(もし長生きしていたら)は、伊藤博文さんや山縣有朋さんらが構築した「明治国家・日本」をどう見ただろうな~!?。
明治国家の統治機構のみごとな完成度は、「芸術品としての国家」と言われたらしいが、自分は、民衆の一人として、なんとも言えない気持ちになりますし、悔しい思いもします・・・。
その統治機構のほころびが、早くも明治30年くらいに表れ、そこからあっちにいきこっちにいき、今の自分がいる。
森崎和江さんの言葉に以下のものがありますが、われわれ自身による実験室ありの統合は如何に可能か!?という事を考えます。今、読み返している橋川文三さんが書かれた「柳田国男論集成」の各文章が、考えなければならないという想いにますますさせます。

日本には、人々の統合の本質は民族的優者に対する情念だという感覚が、天皇制と共にしみついている。円錘型感覚の民族である。(民衆の民族的出逢いを)」

(話をタイトルに戻して)
橋川文三さんや渡辺京二さんの言葉に触れて、小学生の時の頃を思い出して、「そうだ、田原坂に行こう!!」と思ったわけです。

特に田原坂に行こうと思ったのは、橋川さんが書かれた「西郷隆盛紀行(この本の中の安宇植さんとの対談・<日本の近代化と西郷隆盛の思想>は、ホントに色んな想いにさせられました)」という本や橋川さん対談集の「歴史と精神」という本の中の前田愛さんとの対談<明治初年代の可能性>や松本三之介さんとの対談<肝胆相照・西郷と海舟>を読んだ事が大きいです。

宮崎兄弟(を知ろうと思ったのは)資料館に行こうと思ったのは(何か今に活かせるものはないか!?、人間の可能性を信じていいんだ!!と自分に言い聞かせるために)、鹿島拾市さんが、アナキズム誌13・14号で書かれた「宮崎滔天の<世界革命>」がきっかけでこの兄弟に興味が湧いて、渡辺さんが書かれた「北一輝」という本の中の<西郷党の落し子>という章で、自分の中でもっと勉強したいという決定的な想いになりました。

まだ読んでいないけど、実際に資料館に行ってから、渡辺さんが書かれた「維新の夢(ちくま学芸文庫)」という本や鹿島さんも上記の文を書く上で参考にしていた上村希美雄さん(宮崎兄弟伝・龍のごとく 宮崎滔天伝を書いた)が書かれた「民権と国権のはざま 明治草莽思想史覚書」という本をまずは読みたいと思っています。

この資料館は、よくありがちな郷土の英雄をまつりあげるようなものではなく、自分にとっては、思想的決断を促す勇気を培養させるような資料館でした。
2階建ての小さな資料館でしたが、展示されているものに興奮して2時間以上いました。
展示されている彼らの言葉が重すぎました。
「自由」・「土地均享 人類の大権」・「革命」etcという言葉の数々に。

特にずうっと見ていたのは、宮崎民蔵さんのコーナーです。
「大逆事件と熊本評論」のとこからは離れられなかったです。
また民蔵さんが購読していたという世界各国の社会主義誌の中に、クロポトキンさんが書かれた
無政府主義の道徳」が、ありました。
(自分が、この本を初めて読んだ時は、何とも言えない気持ちの良さを感じました。)

資料館で買った資料館発行の「宮崎兄弟の世界へ」という本は、まだ読んでいないけど、じっくり読みたいと思っています。


それから田原坂へ。
(画像は、田原坂資料館前)

資料館は、色んなものが展示されていました。

乃木大将(その時は、大将ではありませんが)が、奪われた小倉歩兵第14連隊旗のレプリカも展示されていました。
ここは、資料館の展示物よりも外の「西南の役戦没者慰霊の塔」の薩摩軍と政府軍双方の戦死者の名前と出身地が刻まれた石碑をずうっと見ていました。
薩摩軍よりも政府軍の一兵士は、この戦争をどう考えていたんだろうな!?とか思いました。

また隣にいた彼女は、「この辺に住んでいた人々は、自分が住んでいる所が戦場になった時、どんな事を思ったかな!?」とか言っていました。

この辺りの民衆だけでなく、民衆はこの戦争をどう思っていたんだろうか!?
「御一新」とは!?「近代」とは!?「文明」とは!?「国民国家」とは!?
そして自分は、この「歴史」をどう受け止め、どんな言葉を吐き、どんな事を信じるのか!?

それでは、また。
(gotcha1977)








 





 











2013年10月10日木曜日

11月1日!!!!!

北九州のURBAN HEAD RAWが、MCR COMPANY / HUMAN INSTINCT RECORDS共同リリースで、HUMAN DESTRUCTIONと題された単独作品をリリースするようです。
是非!!是非!!!触れてみて下さい!!!!!

最近、彼女に「今日の夜は、橋川さんですか!?CUBASEさんですか!?」と訊かれます。
また「あんたが、毎日何を考えて過ごしているか!?を知りたいから、読んだ本それぞれにつき、感想文を書け!!」と言われました・・・。

最近、読んでいる(いた)本は、以下のものです。

・橋川文三さん 「日本の百年 7巻(1931年~1937年)アジア解放の夢」
この本には、近代日本(その延長上に今の自分がいる!!)が、行き着く過程が、記述されています。それは、これまた橋川さんが、「近代日本思想史体系2」の中で書かれた<東亜新秩序の神話>にも端的に、そして複雑に!!表れているように、「右でも左でもよい、どんなものでもいいから救世主が必要だ」というものに収斂していく過程(今も続く)の歴史があります。
でも民衆にとって、初原的なもの、真の欲求とは何だったんだろうか!?

・橋川文三さん 「柳田国男論集成」
この本は、、近代日本の歴史の重圧(問題の歴史的困難さ)を受け止めながら、日本人は、プラス/マイナス両面で、人類にどのような歴史的な科学を示すことが出来るか!?という事を考えろ!!という事を促したものだと個人的には思います。
この本の中で、柳田さんが戦後最初に発刊した<先祖の話>の自序(昭和20年10月)の以下の言葉が紹介されています、
「・・・理論は是から何とでも立てられるか知らぬが、民族の年久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を、安んじて追随せしめることが出来ない。・・・それを決する為にもまず若干の事実を知っていなければならぬ。明治以来の公人はその準備作業を煩わしがって、努めてこの大きな問題を考えまいとしていたのである。文化の如何なる段階に在るを問わず、凡そ是くらい空漠不徹底な独断を以て、未来に対処していた国民は珍しいといってよい。」

竹山道雄さん 「昭和の精神史」
橋川さんが、書かれた「昭和ナショナリズムの諸相」という本の中に、<日本ファシズムの思想的特質>という文があり、その中で、竹山さんの「日本にはファシストはいた。しかし国は、ファッショではなかった。」という言葉が紹介されていて、それはどういう事かな!?と思い手に取ってみました。
(偉そうに聞こえるかもしれませんが)鋭いなぁ~と思う所(特に、この本収録の<若い世代>)は、多々ありましたが、責任性というアモルフを感じます。
それなら、「今、お前は、流され曖昧な日常の中で、どんな責任を果たしてるんだ!?」と言われたら、返す言葉はありませんが・・・。

・渡辺京二さん 「北一輝」
今まで、渡辺さんの言葉には触れた事がなかったのですが、本屋でこの本を立ち読みして、以下の言葉には、この本をじっくり読みたい!!と特に思わされ購入しました。

人類は中世において極端なコミューン原理の社会を経験し、近代において極端な個人原理の社会を経験して来たからこそ、現代においてその綜合をなしとげることができるのだということで、これはつまり人類史の三段階論なのである。その綜合を、個人を完全に生かしきる高度なコミューン原理の社会と考えるところに、北の社会主義者たる本質が存在したのである。(中略して)
どんな種本から思いついたにせよ、しかしこの三段階説はまったく北自身のものとなっている。
それはこのような人類史の解釈が、この青年のいちばん深いところにある欲求を満足させているからである。(中略して)
しかしこの人類史の三段階が、北のイメージのなかで、典型的にはヨーロッパのものとしてとらえられたにせよ、個と共同性との分離を再統一しなければこの生は生きるにあたいしないという感覚は、あとに説くようにあくまで特殊に日本近代のものだったのである。」

ラジカルな共同性の飢渇感>が、なんで<国家の物神化>になり<擬ファシスト>に結びつくのか!?その結びつきをほぐし、<人類>という言葉を吐けるようにするためには!?という解答困難な問いに対して、微かな道筋の一つを提示した本だと個人的には思います。

しかし、この類的存在としての人間の解放という理念には、その底に、いかにも北的な重要なモチーフがかくされていた。それは人間は共同的なものであるべきだという要求で、これこそ彼がおのれを社会主義者とみなした理由の根本であると同時に、彼がのちに擬ファシスト的な転落をたどらねばならなかった、秘密の核心にほかならなかった。(人類史総括の思想より)」

この文章を読んで、転落は果たして彼だけだろうか!?と思います。
それにしても誤解を恐れずに言えば、彼の著作を読んだ青年将校の方々などは、彼の言葉に何とも言えない気持ちの良さをホントに感じただろうな~と思います(天皇に対する想いは、すれ違えど)。
生きられる!!と思った事だろうな~と思います。
こんな言葉、想いを持つとは、自分自身が、何か絶対的なものを求めてる証拠だと思います・・・。
自我が収斂出来る絶対的な何かを・・・。
絶対的な何かとかないはずだと思うんですがね・・・。

そして、色んな本を読んで、その中で紹介されている言葉を読んで、今、ちゃんと読みたい方は、中野重治さんと竹内好さんです。
橋川さんが、書かれた文<日本ロマン派の諸問題>の中で、以下の言葉があります(長い掲載になります)、

戦後、日本ロマン派に関する発言として、的確な問題意識を提示したものは、竹内好の「近代主義と民族の問題」であり、それに対する批判的な、積極的な回答として書かれた中野重治の「第二文学界・日本浪漫派などについて」であろう。
そこで指摘されている共通のことがらとして、なによりも明白なことは、日本ロマン派は決して正当な批判と闘争の果てにたおされたものではないということであろう。

竹内はいうー「マルクス主義者を含めての近代主義者たちは、血ぬられた民族主義をよけて通った。自分を被害者と規定し、ナショナリズムのウルトラ化を自分の責任外の出来事とした。日本ロマンを黙殺することが正しいとされた。しかし、日本ロマン派を倒したものは、かれらでなくて外の力なのである。外の力によって倒されたものを、自分が倒したように、自分の力を過信したことはなかっただろうか。それによって、悪夢は忘れられたかもしれないが、血は洗い清められなかったのではないか。」

これは、中野の次のような認識につながる。
「つまりそれは・・・日本浪漫派グループの活動が、その性質・内容について完全に取り出されていないということである。戦後の「民主主義」の復活は、この種の民族主義にたいして、戦前、戦争のはじめの時期、こういうグループが排外主義・侵略主義へ走りこむ姿勢を取った時期に、日本の民主陣営・プロレタリア文学陣営のがわが与えた不十分な批判と同等・等価なものを与えただけであって、それ以上立ち入った批判を与えていないということである。批判はいくらか表面的な対症療法に終わっていると見られる。膏薬でおさえはしたが、腫物が切開されていない。病原が正確に決定されないまま今にいたっているため、そのため同じものの同じ形での進行が見られることになったものとわたしは考える。」

それでは、また。
(gotcha1977)












2013年9月12日木曜日

cubaseさんとADさん。

みなさん、どうもお久しぶりです。いきなりですが、
ドラム音源のAddictive DrumsとReel Machinesを取り入れてから一時が経ちました。


インストールして、vstインスト(cubaseさんの)にADさんの名前があり選択があり、鳴らしてみると、興奮しました。
それから、色んなmidi音源を鳴らしたり変化させたり、編集ページやリバーブのページで色々と試していると、面白いです。
最近、mi~何とかの文字を見ると、一瞬midiの事かと思ってしまいます・・・。

ADさんは、鳴らしながらそのまま編集できたり出来るのもいいです。
最近、やっとcubaseさんにも慣れて、色々と試していると面白いです。
色々と音を重ねて試していると、重ねすぎて収拾がつかなくなります・・・。
まぁもっと音を重ねたくてしているんですが・・・。

何か良いループ音源があれば、教えて下さい~!!!!!



最近、勉強のためと言うか参考のために、改めて以下の音楽を聴いています。

・BUCK-TICK  「Razzle Dazzle」 「ONE LIFE,ONE DEATH」
(曲のポップさや生のドラムと打ち込み系のドラムの併用とか細かいノイズ音とかたまりません。)

・CABARET VOLTAIRE 「MIX-UP」
(昔からよく聴いています。)

・DEPECHE MODE  「some great reward」
(聴いているとクセになります。)

・MARK STEWART  「THE POLITICS OF THE ENVY」
(歌詞カードにあるMOST SECRET WARという言葉は、分断支配という状況を表す端的なものだと思います。)

・UNDERGROUND RESISTANCE  「INTERSTELLAR FUGITIVES」
(デトロイトテクノと言われるものですが、こういうどういう意識(決まりきったような政治的な意識というものではなく、自分自身の意識から始めるものと言うか・・・。)を持って音楽をしているか!?を明確に持っているものには、どうしても魅かれます。
このアルバムの歌詞カードに<語られることのない現実 by 名もなき記述者>という言葉があり、ホントにきます。)

・CHUMBAWAMBA  「TUBTHUMPER」
(特にthe good ship lifestyleという曲は、自己省察を促すような歌詞も曲の展開もボーカルの歌い方もいいな~と思います。)

 

それでは、また。(gotcha1977)


 






 

2013年8月14日水曜日

cubaseさんについてとか色々。

みなさん、お久しぶりです。
いかがお過ごしでしょうか!?
暑い日々が続いていますね。
最近は、皮膚の状態もホントに良くなり、肌着に血がつく事もなくなりました。
痒みでイライラする事もなくなりました。

最近、夜はcubaseさんと過ごす時間が多くなりました。


まだまだ解らない事だらけです。
Rちゃんが言っていた通りだなぁ~とつくづく思わされます。
まぁ一つ一つやっていきながら、覚えていくしかないんですが。
Rちゃんが言っていたように、日をあけずにしないと忘れたりします。
一つの事を調べるだけで、2、3時間がアッという間です。

まだ「楽しい~」という感じにはなれないけど、唄いたい事があるから、やるしかないんです。
この言葉は、めげてしまいそうになる自分に言い聞かせています・・・。
マイクを持てる日は遠いなぁ~と思い焦ったりもします。
頼むから、自分にマイクを持たせてくれ!!、自分自身よ!みたいな感じです。

何かの設定をいじって、音が出なくなると(よくある事らしいですが)、「あ~もぉ~」となります。
元々、パソコンの操作自体も得意ではないけど。
と言うか、そもそも自分に「得意」な事とかあったけ!?
出来ない事だらけに、不得意な事だらけ。
自分にあるのは、うまく言えない衝動だけ。

最近、バンドと言うものを始めて以来、初めて!楽器屋さんのホームページをよく見ます・・・。
ドラム音源が欲しいな~と思ってるんです。
Addictive Drumsというドラム音源が欲しい。そして専用の拡張音源のエレクトリックドラム(所謂、打ち込み系)に特化したReel Machinesが欲しい!!
欲しいというか必要だな~と思っています。



(またまた)最近、本は(これまた継続的にと言うか離れられなくなり)橋川文三さんの以下のものを繰り返し読んでいます。

橋川文三さん
・「昭和ナショナリズムの諸相」
・「政治と文学の辺境」
・「西郷隆盛紀行」
+図書館にあった橋川さんの他の文章

上記の本を読んでいると、これまた橋川さんが書かれた文章「戦後世代の精神構造」の中の以下の言葉を強く意識させられます。
近代日本の歴史の重圧をハッキリとうけとめ、それへの対抗価値として自己の様式を実現しようとする意識・・・」

人間の意識、主体の意識、責任の意識、歴史意識、自立の意識・・・。

また「政治と文学の辺境」の本の中に収録されている<太宰治論>という文章の中の以下の言葉は、何回も繰り返し読み返しています。
長くなりますが(もし良かったら最後まで読んでみて下さい)、掲載します。

「1930年ごろに始まる現代日本の暗い谷間の時期が、日本人の精神に刻みこんだ自己喪失の絶望感は、今かえりみてもなお人を慄然とさせるほどに凄まじいものであった。
凡そ人間がこの世の中になんら信ずるに値する価値も思想も制度もありえず、それらと結びついた安定した社会も人間関係もありえないことを身をもって知ったとき、そこにいかに奇怪、異常な錯乱が生じうるかを極限的に展開してみせた時代が、ここにいう<昭和十年代>にほかならなかった。
それは別の意味でいえば、日本にはじめて<近代>の錯乱が始まったということもできよう。古風な約束のすべてが無効であることが、まず政治の伝統的様式の解体としてあらわれたのち、安定した政治の定型に究極的に依存していた人間存在の意味もまた、一切の既存の枠を超えて解体、氾濫し始めた。人間存在の意味を解釈する様々な知的体系は当然無効となり、<イデオロギー>と<思想>はその根拠を失って異様な空虚の中に拡散するほかなかった。もし近代日本に、<実存主義>という現代的性格をおびた思想が自主的に発生しえたとするならば、それはこの時代においてはなかったとされる所以である。
鶴見俊輔の思想史的解釈にならばしたがう「村上知義、高見順、太宰治、埴谷雄高、椎名麟三、三好十郎らの転向文学が、日本における実存主義の最初のあらわれである」ということになる。
                                   
つまり、これらの文学者は、いずれも人間存在の正当性をなんらかの意味で保証したさまざま既存原理の廃墟に立って、しかもなお生きることをつづけねばならないのは何故か、という問いに答えようとした文学者だったということである。
今あげた人々の名前につけ加えるならば、たとえば石川淳も、堀辰雄も、坂口安吾も、竹内好も、武田泰淳も、そして今もなお無名のさまざまな人々もまた、その同じ問いの前に、それぞれの死力をつくして直面したはずである。
何もむずかしい問題ではない。
この<ひでぇ時代>にどうしたら<正義>の生命が可能であるかという問題に、彼らが素樸・剛毅に直面したというだけのことである。」

ヤツラがいう<政治>やなんやらかんやら、よく解らんものより、<われわれ>自身の根源的な空洞(われわれ自身の思想原理の欠如)を意識して、その中でこそ、もっと根源的なものを
聞かせて欲しい、見せて欲しい、語って欲しい。
もっと根源的なものを聞かせたい、見せたい、語りたい。
そういう<われわれ>自身の交換を信じたい。
そう信じさせてくれる思考、言葉、行為、関係性は溢れていると思う。

それはまた、自分は何に忠誠意識を置くのか!?という問題だろうと思います。
橋川さんが書かれた文章「忠誠意識の変容(近代日本思想体系1収録)」の中に、以下の言葉があります、明治の民権意識の中にはこういう側面があったという意味で(しかし!!その後の民権意識の問題は今なお続くわれわれ自身への問いだと思う)、
人民の忠誠心は、人民そのものに志向される・・・」

この言葉は、<力の再配置>という問題だと思います。
Oさんが吐いた言葉、「人を動かし動かされる主体形成の力を・・・」と思います。

どんな事があっても、この事だけは信じたい。
それが自分にとって生きるという事だと思う。
そしてもっと生きたいと思う。
これは、「政治」や「経済」や「グローバル」や「現実」や「選挙」とかなんやかんやの中で、理想的すぎるんでしょうか!?
したり顔で、政治や経済やグローバルや現実なんか語る言葉にドキドキなんかしないし、つまんねぇ~と自分は思います。
「人間」の自由や可能性とかそんなものではない!!と強く思い信じています。

でも「そんな不確かな事では、飯は食えないだろ!?信じられるの!?生きられるの!?」と言われたら、そういう言葉に拮抗出来る言葉が、自分の中にないのも事実ですが・・・。

最近の音楽は、このアルバム(1st アルバムと合わせて)を繰り返し聴いています。
「失われた怒り」というものを思い起こさせて頂きました。

http://mukofungoj.sanpal.co.jp/bando/4881

特にこの時期は、戦争や原爆や平和という言葉が溢れるけど、そんな時は、Nさんがアナキズム誌3号で吐いた以下の言葉を、特に思い出します。
戦争に反対するということは即ち、国家に従わない、より明確に言えば、国家に叛逆するということ・・・」

また吉本隆明さんが、1973年6月の情況の発言の中で吐いた以下の言葉を思い出します。
この<平和>な日常性に<戦争>を視る方法をもたないものが、どこで<戦争>をみつけることができよう。」

また吉本さんが吐いた以下の言葉も思い出します。
現在の強制的な平和は人間にたいして、どんな生き方も卑少であり、どんな事件も卑少であり、それを出口なしの状態で日常的に耐えながら受けとめ、そこから思想の課題を組みあげるということを強要している。(戦後思想の荒廃)」

それでは、また。(gotcha1977)


 
 
 

2013年5月21日火曜日

無題。

「橋川:僕はそれで思い出すんですが、昭和19年にぼくらの仲間に詩人の宋左近がいましてね、かれの召集で送別会をやったんですよ。その席でわれわれにとって基本的な前提は何かということで、つまり人間として世界を見るというのと、日本人として世界を見るというのとで、大学生のよくやる形而上学の議論になって、何か非常にグロテスクといっていいような、しかしかなり深刻な場面が展開したわけです。宋左近はフランス文学ですから、仲間には白井健三郎もいましてね、かれらは人間が前提だという言い方をする。しかし、人間が前提だというのは抽象論でいわば近代主義だというのが僕なんかみたいな浪漫派の連中ですよね。それで大論争になったんですが、戦後の今のナショナリズムの問題も、いつかその問題にぶつかるという可能性もありそうで、30年というとちょうど1サイクルだから、あと10年ぐらいもすると、そういう場面がでてくるかもしれないという変な感じもしますね。そういう問題設定がこんなに開かれた日本社会で起こるはずはないと思うのが普通なんですが、それだけではあまり保証にはならない。戦前だって、かなり開かれていたわけです。世界のあらゆる文化も・・・・・・。(橋川文三さん、鮎川信夫さん対談.<体験・思想・ナショナリズム>1976年より)

よく「偏った思想は、危険」とか聞いたり言われたりするけど、自分は、生まれてからこのかた、<日本人>・<男>という思想に偏っているだけでなく、足の先から頭のてっぺんまでドップリ漬かって生きている。
<個>であることではなく、<個>になること・<人間>であることではなく、<人間>になることは、吉本隆明さんの言葉を借りれば、「おおきな否定とのり越え」を必要とすることだとつくづく思わされます。
自虐とか、いかなる政治人がどうのこうのとかではなく、ましては仕方がなかった事といった無責任極まりない事ではなく、これは<人間>になりたい!!と言うオノレ自身の衝動の問題だと思います。

そして以下の様々の言葉は、オノレ自身への問いとして。

敗戦は、大衆に平和をのぞませた。が、それ以上の意識性を生んではいない。加害の相手方にたいする、あるいは戦ったことにたいする自己の責任を問うことはない。むしろ国家権力の被害者であったと感じることで、自己の歴史の一切を、歴史の総体から分離して救いうるのである。その個の意識構造のなかに、責任の論理が欠落していることこそ、私には、日本伝来の土民生活体が生んだ精神性だと思っている。戦争犯罪は、上はテンノウヘイカから下は憲兵さんに至るまで、いや行政官も植民地生まれの少女も、日本という民族意識の総意に対して、個的責任を問われたことはないのである。戦犯で処罰された者の誰がその刑を自己の思想性と対応させて判断しただろう。民族のギセイになったとしか考えてはいないのだ。個別責任を問われることのない共同体感覚の永続性を民衆がいかに願っているかは、敗戦ののちの近代化の進展が、血縁地縁共同体から核家族へとその生活の基本を分断させるとただちに、前近代的組集団(親子分集団)へ参加するか世界連合的な有形無形の意識へ加盟してしまったことにもうかがえる。この日本民衆の体質のあらわれは、日本人の転向の本質にもつながっているのである。(森崎和江さん・媒介者の思想)」

日本の体質にぬりかためられている互いの根源へかいくぐり、今日を生き合うための、反日本的体質を育て合う。(森崎和江さん・活字のまえ、活字のあと)」

わたしは、にほんでにほんの民衆のなかに正攻法に転化し得るものを探し歩いているのです。(森崎和江さん・訪韓スケッチによせて)」

いまは私たちはいちずに自己を問わねばならない。過去の非をみずから責めるためだけではないのである。あのようなアジア進出以外のどのような意識の型を、日本人民衆はその生活の伝統のなかから生みうるかを問わねばならないからである。そのことをぬきにしたアジア民衆の政治的次元における連帯などは、私にはボタ山をころげおちる石くれほどの重さにも感じとれない
(森崎和江さん・民衆意識における朝鮮人と日本人)」

私たちは、なんどでも、疑いようのない歴史的事実の前に立つべきではないか。それは、日本帝国主義を倒したものが日本人民の中の誰でもないという事実である
(橋川文三さん・抵抗責任者の責任意識)」

私たちは百年の日本近代史を多面的にくりかえし学びかえし、その全体についての責任を己のものとする立場を確立せねばならぬという以外にはない
(橋川文三さん・日本ロマン派の諸問題)」

否応なく、日本人と規定されながら、流されながら生きている。
ヒューマニティーの彼方の景色が見たい。信じたい。唄いたい。
それにしてもCRASSが吐いた「THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF」という言葉は、日本的な共同幻想の元において、ホントに重いものだと改めて思います。



それでは、また。
(gotcha1977)

2013年4月24日水曜日

今日も無題。

近くで家を造っている方々がいる。
その家を造っている何かの音、鼓動。
その音、鼓動は、自分の鼓動とあまりにもかけ離れていると思う。うまく言えないその重さに。
窓から見えるのに・・・。
それは、例えば「友人・彼・彼女」と呼んだり呼ばれたりするものと同じかもしれない。
それは、先日久しぶりに会ったRちゃんの何気ない言葉にも感じます。
そんな事をうまく言えないんですが、漠然と思ったりします。
と言うかずうっと思っていたい。そういう自分の中の漠然としたそういう思いが無くなるのが恐い。

先日の投稿で、吉本隆明さんの「大衆のナショナリズムの核」という言葉を掲載しましたが、その言葉には、上記に書いた漠然とした思いに対して、ゆれるように生活し、死ぬという大衆の一人として勇気づけられます。

生涯のうちに、じぶんの職場と家をつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の<ナショナリズム>の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに値する。ここに<自立>主義の基盤がある。(日本のナショナリズム)
より」

最近は、パンクスの友人のお薦めのRHYMESTERの「ダーティーサイエンス」と「POP LIFE」というアルバムをずうっと繰り返し聴いてます。
薦めてくれた彼は、最近、CONTORTUREというバンドの「WHO'S IN CHARGE」!!!!!というタイトルをつけたアルバムを共同でリリースしています。
彼が、なぜこのアルバムをリリースするようになったのか!?という想いを自分なりに考えながら、じっくり聴きたいと思います。
http://acclaimcollective.blogspot.jp/2013/04/acclaim-new-releases-contorture-whos-in_5.html

ライムスターを聴いての感想。
よく「こんな時代だから」とか「危機」とか言われたりするけど、それはいつもなんじゃないかな~と思います。
たまに聞く「ピンチをチャンスに!!」とか好きではないと言うか、それは誰にとってピンチなのか!?量の問題なのか!?そういう「計量的発想(辺見庸さんの言葉)」こそが、無責任ではないのか!?と思います。
高度成長期の時にだって、<われわれ>にとってピンチはそこらじゅうにあったと思います。
見ない死というものが。それは、今も。

例外状態が常態」と言ったのは、カール・シュミットさんでしたっけ!?

だからこそライムスターの以下の歌詞は、きました。
どきなリアリスト 失せろニヒリスト リリシストのお通りだ
この世界はコトバを欲してる 誰かの言う通りだ(ゆめのしま)」

要らねぇ安い共感 だけどハマリたくもねぇ無常感(スクリーム)」

誰かの尻馬乗っかってばっか キミも誰かを裁くか?(The Choise is yours)」

またPOP LIFEというアルバムに対するインタビューの彼らの言葉を読むと、以下の事を思わされます。
よく「リアル」とか「レベル」という言葉が使われているけど、何かをやっているからリアルとかレベルとかに違和感が凄くあります。
リアルとかレベルとかどこにでもある。
もっと見なければ、見尽くして見尽くして、それに自分なりに応答しろ!!と彼らの歌詞を読むと思わされます。

吉本隆明さんの言葉に以下のようなものがあります、
愚劣な<前衛>的コミュニケーションをやめるがよい。もしも、わたしたちが選ばねばならなかったものがあったとしたら、まず先験的に日本資本主義社会そのものであった。つぎに何をえらんだのだ?たくさんの現実的事件と、自分の遊戯や勉学や貧困や生活であった。そうして、つぎに何を選んだのだ?いっこうに変りばえもしないこの現実であった。(前衛的コミュニケーションについて)」

人は他者によって作られた自分に責任を負わなければならない。それが虚像であるばあいも真実の所在する場所だからだ。そしてこのばあい虚像であるかないかはどうでもいいことで、真実の所在する場所ということが重要なのだ。(世界認識の方法のあとがき)」

それにしてもライムスターのダーティーサイエンスを購入してから、特に「It's A New Day」と「The Choise is yours」は、歌詞を読みながら繰り返し繰り返し聴いています。
「The Choise~」を聴いていると、橋川文三が言った意味での「歴史意識・歴史責任」という言葉が重なります。
またアナキズム誌10号で、川田功さんが書かれた「映画<ボスニア>の彼方へ」という文章を読み返したくなります。

「われわれ」を萎ませている無責任な自分だけど、<ヤツラ>の言葉を聞くと悔しくてたまらなくなる。アナキスト和田久太郎さんが言った「身を益なきものと思いなす」と正直思ったりもする。ビビりだけど・・・。
ビビりだから、和田さんが言った「弱き者よ、その弱さに徹せよ」がきます。

それでは、また。
(gotcha1977)
















2013年4月3日水曜日

無題。

ブログしているのを忘れてました・・・。
チェックしている方もいないだろうけど・・・。
みなさん、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか!?

最近は、まぁ体調の方も良く過ごせています。
自分がやりたい音楽、言葉とは何か!?という事だけを考えています。
それは、「無責任」な事なんだろうか!?どうなんだろうか!?とも思います。

家にいる時は、ますます本ばっかりを読んでいます。
図書館とか本屋さんに行くと、時間ともっと早い読解力があれば、日本の近代文学や近代思想の本を全部読みたいと思ってしまいます。

最近、初めて読んだり、読み返したりした本は、以下のものです。
読んでいると、安心したり確認したりするのではなく、落ち着かなくさせられたり、撃ち抜かれたりします。
彼女に、「そんな本を読んでどうしたいんね!?」みたいな事を言われたけど、この日本的な共同幻想の元において、言葉を吐く!?とはどういう事なのか、吉本隆明さんの言葉を借りれば、「大衆ナショナリズムの核」に対して、どんな言葉が拮抗出来るのか!?を考えるために必要だと思います。

・橋川文三さん  「歴史と体験~近代日本精神史覚書」
           
 
            「近代日本政治思想の諸相」
            「ナショナリズム~その神話と論理」
            「昭和維新試論」
            「歴史と精神」

・三島由紀夫さん 「文化防衛論」
(三島さんでよく思い出す文は、吉本隆明さんの以下のものです。
  「三島由紀夫の<天皇陛下万歳>は、これを嗤うこともできるし、時代錯誤として退けることもできる。また、おれは立場を異にするということもできる。しかし、残念なことに、天皇制の不可解な存在の仕方を<無化>し、こういうものに価値の源泉をおくことが、どんなに愚かしいことかを、充分に説得しうるだけの確定的な根拠を、だれも解明しつくしてはいない。したがって三島の政治行為としての<死>を、完全に<無化>することはいまのところ不可能である。根深い骨の折れる無形のたたかいは、これからほんとうに本格的にはじまる。(情況への発言・1971年2月)」

・宮嶋繁明さん 「三島由紀夫と橋川文三」
どうも後年の橋川は、丸山が指摘したような<政治的決断>はどうでもいいと、考えていたふしがある。大切なのは、思想的決断を促す勇気だと。」(三島由紀夫に見る橋川文三の影響より)

・丸山真男さん 「日本の思想」

・神島二郎さん 「近代日本の精神構造」
日本人古来の念願(子孫の追慕、家名の保持、供養の永続、死後の共生など)をほかならぬその時代性においてあやまたず把捉し、これを踏まえて未成熟な国民意識のなかから国家防衛の意志を造出したものこそ、じつに靖国神社の政策にほかなぬと私は考える。」(神仏対抗と「家」意識より)

・加藤周一さん 「日本人とは何か」

・色川大吉さん 「明治の文化」
天皇制は日本の「風土」に融け合った。そのために民衆には、ほとんどの場合、それは、共同体的なものとして観念されて、決して支配システムとは考えられなかった。竹内好氏の言われるように、それは「相対するものではなく、包まれてあるもの」になった。(精神構造としての天皇制。より)
この文には、天皇制とは何か!?とか靖国神社とは何か!?とかがあるような気がします。
単純化するなよ!!と言われている気がします。またアナキスト石川三四郎さんの天皇制に対する考え方とかも考えさせられます。そして北一輝さんの日本のあり方に対する考え方とかも。

でもその一方で、この文には以下の言葉があり、考えさせられます。谷川雁さんが言った「深淵」という言葉を。
民衆の側からいえば、かなりの深みまで<国体>の擬制を受けいれながら、最後の一点で天皇制に魂を渡さなかった。いちばんの深部で、天皇制は日本人の心をとらえ切れていない、<国体>は真の意味で、民衆の精神的機軸にならなかった、そう私は考える。」

・石川啄木さん 「時代閉塞の現状 食うべき詩 他」

・久保隆さん 「吉本隆明ノート」
たぶん、<共同幻想論>は様々に読むことを可能にしている書であるといえる。にもかかわらず、そこから引きだしうることは、やはり遠い闇の彼方の切開と開示という深刻な問題をいやおうなくわたしたちにつきつけているといえよう。」(共同幻想論の世界。より)

・アナキズム5号 「ナショナリズム」

読んでいると、「人間」の自由とか可能性とか存在って何だろうか!?みたいな事を足りない頭で考えてしまいます。
また「信じる」という言葉とか溢れているけど、それはどういう事なのか!?
ホントは、何も信じていなかったりするくせに、ふりをするとか。

自分は、何を信じる!?解らない・・・・んだけど、こういう事は思ったりします、
希望はない。絶望はない。ただあるのは、信じることだけ。
試すことを。交わすことを。繰り返すことを。響き合うことを。

こういう言葉も、なんだかなぁ~と今、書きながら思いました・・・。
こんな言葉しか出ないのか!?とか思います。
これでは誰にも応答できない。

それでは、また。
(gotcha1977)