2013年10月10日木曜日

11月1日!!!!!

北九州のURBAN HEAD RAWが、MCR COMPANY / HUMAN INSTINCT RECORDS共同リリースで、HUMAN DESTRUCTIONと題された単独作品をリリースするようです。
是非!!是非!!!触れてみて下さい!!!!!

最近、彼女に「今日の夜は、橋川さんですか!?CUBASEさんですか!?」と訊かれます。
また「あんたが、毎日何を考えて過ごしているか!?を知りたいから、読んだ本それぞれにつき、感想文を書け!!」と言われました・・・。

最近、読んでいる(いた)本は、以下のものです。

・橋川文三さん 「日本の百年 7巻(1931年~1937年)アジア解放の夢」
この本には、近代日本(その延長上に今の自分がいる!!)が、行き着く過程が、記述されています。それは、これまた橋川さんが、「近代日本思想史体系2」の中で書かれた<東亜新秩序の神話>にも端的に、そして複雑に!!表れているように、「右でも左でもよい、どんなものでもいいから救世主が必要だ」というものに収斂していく過程(今も続く)の歴史があります。
でも民衆にとって、初原的なもの、真の欲求とは何だったんだろうか!?

・橋川文三さん 「柳田国男論集成」
この本は、、近代日本の歴史の重圧(問題の歴史的困難さ)を受け止めながら、日本人は、プラス/マイナス両面で、人類にどのような歴史的な科学を示すことが出来るか!?という事を考えろ!!という事を促したものだと個人的には思います。
この本の中で、柳田さんが戦後最初に発刊した<先祖の話>の自序(昭和20年10月)の以下の言葉が紹介されています、
「・・・理論は是から何とでも立てられるか知らぬが、民族の年久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を、安んじて追随せしめることが出来ない。・・・それを決する為にもまず若干の事実を知っていなければならぬ。明治以来の公人はその準備作業を煩わしがって、努めてこの大きな問題を考えまいとしていたのである。文化の如何なる段階に在るを問わず、凡そ是くらい空漠不徹底な独断を以て、未来に対処していた国民は珍しいといってよい。」

竹山道雄さん 「昭和の精神史」
橋川さんが、書かれた「昭和ナショナリズムの諸相」という本の中に、<日本ファシズムの思想的特質>という文があり、その中で、竹山さんの「日本にはファシストはいた。しかし国は、ファッショではなかった。」という言葉が紹介されていて、それはどういう事かな!?と思い手に取ってみました。
(偉そうに聞こえるかもしれませんが)鋭いなぁ~と思う所(特に、この本収録の<若い世代>)は、多々ありましたが、責任性というアモルフを感じます。
それなら、「今、お前は、流され曖昧な日常の中で、どんな責任を果たしてるんだ!?」と言われたら、返す言葉はありませんが・・・。

・渡辺京二さん 「北一輝」
今まで、渡辺さんの言葉には触れた事がなかったのですが、本屋でこの本を立ち読みして、以下の言葉には、この本をじっくり読みたい!!と特に思わされ購入しました。

人類は中世において極端なコミューン原理の社会を経験し、近代において極端な個人原理の社会を経験して来たからこそ、現代においてその綜合をなしとげることができるのだということで、これはつまり人類史の三段階論なのである。その綜合を、個人を完全に生かしきる高度なコミューン原理の社会と考えるところに、北の社会主義者たる本質が存在したのである。(中略して)
どんな種本から思いついたにせよ、しかしこの三段階説はまったく北自身のものとなっている。
それはこのような人類史の解釈が、この青年のいちばん深いところにある欲求を満足させているからである。(中略して)
しかしこの人類史の三段階が、北のイメージのなかで、典型的にはヨーロッパのものとしてとらえられたにせよ、個と共同性との分離を再統一しなければこの生は生きるにあたいしないという感覚は、あとに説くようにあくまで特殊に日本近代のものだったのである。」

ラジカルな共同性の飢渇感>が、なんで<国家の物神化>になり<擬ファシスト>に結びつくのか!?その結びつきをほぐし、<人類>という言葉を吐けるようにするためには!?という解答困難な問いに対して、微かな道筋の一つを提示した本だと個人的には思います。

しかし、この類的存在としての人間の解放という理念には、その底に、いかにも北的な重要なモチーフがかくされていた。それは人間は共同的なものであるべきだという要求で、これこそ彼がおのれを社会主義者とみなした理由の根本であると同時に、彼がのちに擬ファシスト的な転落をたどらねばならなかった、秘密の核心にほかならなかった。(人類史総括の思想より)」

この文章を読んで、転落は果たして彼だけだろうか!?と思います。
それにしても誤解を恐れずに言えば、彼の著作を読んだ青年将校の方々などは、彼の言葉に何とも言えない気持ちの良さをホントに感じただろうな~と思います(天皇に対する想いは、すれ違えど)。
生きられる!!と思った事だろうな~と思います。
こんな言葉、想いを持つとは、自分自身が、何か絶対的なものを求めてる証拠だと思います・・・。
自我が収斂出来る絶対的な何かを・・・。
絶対的な何かとかないはずだと思うんですがね・・・。

そして、色んな本を読んで、その中で紹介されている言葉を読んで、今、ちゃんと読みたい方は、中野重治さんと竹内好さんです。
橋川さんが、書かれた文<日本ロマン派の諸問題>の中で、以下の言葉があります(長い掲載になります)、

戦後、日本ロマン派に関する発言として、的確な問題意識を提示したものは、竹内好の「近代主義と民族の問題」であり、それに対する批判的な、積極的な回答として書かれた中野重治の「第二文学界・日本浪漫派などについて」であろう。
そこで指摘されている共通のことがらとして、なによりも明白なことは、日本ロマン派は決して正当な批判と闘争の果てにたおされたものではないということであろう。

竹内はいうー「マルクス主義者を含めての近代主義者たちは、血ぬられた民族主義をよけて通った。自分を被害者と規定し、ナショナリズムのウルトラ化を自分の責任外の出来事とした。日本ロマンを黙殺することが正しいとされた。しかし、日本ロマン派を倒したものは、かれらでなくて外の力なのである。外の力によって倒されたものを、自分が倒したように、自分の力を過信したことはなかっただろうか。それによって、悪夢は忘れられたかもしれないが、血は洗い清められなかったのではないか。」

これは、中野の次のような認識につながる。
「つまりそれは・・・日本浪漫派グループの活動が、その性質・内容について完全に取り出されていないということである。戦後の「民主主義」の復活は、この種の民族主義にたいして、戦前、戦争のはじめの時期、こういうグループが排外主義・侵略主義へ走りこむ姿勢を取った時期に、日本の民主陣営・プロレタリア文学陣営のがわが与えた不十分な批判と同等・等価なものを与えただけであって、それ以上立ち入った批判を与えていないということである。批判はいくらか表面的な対症療法に終わっていると見られる。膏薬でおさえはしたが、腫物が切開されていない。病原が正確に決定されないまま今にいたっているため、そのため同じものの同じ形での進行が見られることになったものとわたしは考える。」

それでは、また。
(gotcha1977)