2015年2月2日月曜日

ぎこちなく、それは、それはか細く、いつ消えるかもしれない鼓動を奏でたい、一緒に。

みなさん、どうも。久しぶりに間を開けずに投稿(笑)。

先日、昔からの腐れ縁(笑)の方と長時間話をしていて、今日のタイトルの言葉を思いました。

先日(このブログで紹介したminus(-)とLillies and Remainsですが)、彼女と、Lillies and RemainsのROMANTICISMリリースツアー2015(special guest・ minus(-) )の福岡ライブに行きました。

一言で言うと、ホントにホントにホントに!!感動しました。
久しぶりに、この音の空間にいたいと思いました。この音を浴び続けたいと思いました。
気持ちが良かったです。

minus(-)は、森岡さん・藤井さん2人のシンセ(だけのセッティング)や打ち込みの音が美しすぎて泣けました(ホントに)。生は、音源以上に良すぎました。
お二人とも格好良かったです。

Lillies and Remainsは、音源とは違った楽しみがありました。
音源以上に、ライブは良かったです。Bodyという曲が生で聴けたのは良かったです。

彼女も音が気持ち良かったようで、また体感したい!!と言っていました。
でも彼女に、ライブ後にご飯を食べている時に「あんたは、声質はいいと思うけど高音に伸びがないんよね」と駄目だしされました・・・。

そんな自分ですが、最近やっと楽譜が読めるようになりました(笑)。
以前から、TKさんに「感覚的だけでなく・・・」と言われていましたが・・・。

そんな今日の音楽は、これです!!

最近、リリースされた2015年版の「悪の華」。



それでは、また。
(gotcha1977)







2015年1月25日日曜日

2015年。

みなさん、かなりお久しぶりです。
2015年ももう1ヵ月近く経ちますね。
いかがお過ごしでしょうか!?
2014年も色々とありまして(それは、みなさん一人一人もそうでしょうね)、何十年の付き合いになるTKさんと互いの想いを今までになく激しく罵り合い(笑)、言い合ったりしたり・・・。たまには、罵り合うのもいいものです(ホントに)。

まぁでも最近は、新機材を使ってTKさんと新曲創りを少しづつ開始したとこです(そして、一緒に奏でたいもう一人の方を待っているところです。人間的にというか(笑)、感覚的に惚れているので、諦められません(笑))。

ちなみに新曲達のテーマは、「POP」!!
深い意味を込めてですが、POPって難しいですね。
それは、単純に曲調だけの事ではなくて、一体化される(されてしまう)POPではなく、あくまで個的なPOPが、いかに普遍性を帯びうるものになりうるのか!?

曲調だけではなく・・・と書きましたが、(勿論!!)曲調も大切な事で、TKさんに「耳に残る、グッとくるやつ」とか「もっとはじけた感じ」とか「爽やかな感じだけど、内にドロドロした感じ」とか「もっと美しい感じ」とか「それ、前と同じで面白くない」とか昔から相変わらず解りにくい事を言っています・・・(笑)。
でも挑戦したいな~と。まずは、新機材を使って新曲3曲くらいを創りたいな~と。




最近というか昨年から繰り返し繰り返し読み返している本は、以下のものです。

・橋川文三さん 「順逆の思想 ~脱亜論以後~」 「日本の百年4巻 明治の栄光」

・松本三之介さん 「日本の百年2巻 わき立つ民論」 「日本の百年3巻 強国をめざして」 「明治精神の構造」

・山城むつみさん 「連続する問題」

・林淑美さん 「昭和イデオロギー ~思想としての文学」 「批評の人間性 中野重治」

・辺見庸さん 「死と滅亡のパンセ」 「自分自身への審問」

・石原吉郎さん 「望郷と海」

・中野重治さん 「五勺の酒」 「村の家」 「緊急順不同」 「中野重治評論集」
(中野重治評論集に収録の<風習の考え方>という短い文章の中の「事実をいろどるあるイデオロギー的なもの」という言葉に衝撃に受けました。
毎日、自分も逃れなくそういうイデオロギー的ものに流され、自分自身が、あるイデオロギー的なものにくるまって、何かをこぼれおちさせているのだろう。そういうイデオロギー的なものを突き抜けたい、ただ強くそう思う。)


・アナキズム18号 
http://anarchism.sanpal.co.jp/item/1104

こういう方々の言葉や友人達の何気ない言葉や湧き上がるような言葉に触れると、自分の言葉なんかは、ただそれっぽい事を言って自己満足しているだけではないのか!?と思います。
それっぽい音楽を聞き、それっぽい本を読み、それっぽい自分。
ホントは、自分の中の問いなんかなくて、自分自身の中から湧き上がる問いなんかなくて、その事を凝視せずに、自分一個が、ただ一人の人間になるために、自分自身で一人の人間を産むためにホントに問われている根源的な事は何のか!?を思考せずに、それっぽくポーズ(ポーザー)を取っているだけではないのか!?と。

そう自問すると、「火傷するような恥(中野重治さんの言葉)」」を感じます。
この恥を払いのけたいために、自分自身の言葉を産まないといけないと思っています。
ホントに怒っているのか!?ホントに悔しいのか!?
ホントに見たいのか!?ホントに聴きたいのか!?ホントに語りたいのか!?
ホントに奏でたいのか!?
ホントに人間であるがゆえの恥辱を感じているのか!?
ホントに人間であるがゆえの恥辱を払いのけたいのか!?

1871年に感染し1910年代に発症して以来、現在までずっと連続している問題は今後も執拗に連続し続ける。
だから、まずは、確固たる加害者を自己に発見することを避けてはならない。被害の事実を誇張することで自身の加害の事実を『なかった』ことにする姑息な被害者意識、加害者としての自己を他者に投影した上で他者を攻撃する臆病な雄々しさに身を委ねてはならない。
確固たる加害者を自己に発見する勇気を、まずは、自己のうちに育てよ
(山城むつみさん・連続する問題)」

問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている
(石原吉郎さん・ペシミストの勇気について)」

一言でいい、マグマのように自分の底の底から湧き上がるような言葉を吐きたい、叩きつけたい。
その一言は、永久に出ないのかもしれない。
でも、だからこそ自分は思考したい。想いたい。見つめたい。悔しがりたい。怒りたい。

またなぜ自分は、自分が生まれる前や物心つくまえの言葉を読まないといけいないのか!?を後押しする文章は以下のものです。
http://www.linelabo.com/takeuchi-selection.htm
この文章は、自分がいつも想い返していて、勇気づけられる「歴史的個体に対する人間の固執的エネルギー」という橋川文三さんの言葉を改めて想い起こさせてくれました。
自分は、自分の「力・エネルギー」を、どう配置するのか!?どう配置したいのか!?


また(また)昨年から、よく聴いてる音楽は以下のものです。

・BUCK-TICK  「或いはアナーキー」 「SEXY STREAM LINER」
(昨年は、2回も生で体感出来て良かったです。SEXY STREAM LINER収録の<Schiz・o幻想>という曲を一度、生で聴いてみたい!!)

・SOFT BALLET  「DOCUMENT」 「LOVE AND PEACE」
(LOVE AND PEACE収録の<SAND LOWE>という曲は、いろんな音や声が聴こえてホントに好きです。)

・MINUS(-) 「D」
(アルバム全体を通しての流れや各々の曲が美しく好きです。今週、生で体感できるのが楽しみです。)

・LILLIES AND REMAINS 「MERU」 「ROMANTICISM」
(ROMANTICISM収録の<Body>という曲は大好きです。これまた今週、生で体感できるのが楽しみです。)

・THESE NEW PURITANS 「HIDDEN」 「FIELD OF REEDS」
(こういう雰囲気のバンドは、どういう訳か大好きです(笑)。)

・ライムスター 「MANIFESTO」 「POP LIFE」
(POP LIFE収録の<そしてまた歌い出す>という曲は、中野重治さんの村の家という小説の中の言葉<よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。>を想い起こさせます。
またMANIFESTO収録の<ラストヴァース>という曲の歌詞は、ホントに好きです。
例えいつかジャンルごと消滅しても その詩だけは時代を超越 そんな最高の最後のヴァースを夢見て 今また挑戦する・・・
もっともっと一言、一音にこだわりたい。。と思わされます。
それにしても一度、生で体感してみたい。ねぇ、Hッセー(笑)!?そして体感した後に、あなたと色々と言葉を交わし合い、一緒に言葉を創造したい。)

・K ダブシャイン+宇多丸 「物騒な発想」
(歌詞が問いかける。お前は、火傷するような恥を感じないのか!?と。お前の日常、お前の毎日が、例外なく歴史的な瞬間の中で、お前は、どうするんだ!?どうしたいのか!?と。
そして<えらく地味で地道だがお前の敵はしぶといぜ>という歌詞を聴くと、
埴谷雄高さんの<敵は制度、味方はすべての人間、そして、認識力は味方の中の味方>という言葉を想い起こさせます>。

後30分くらいしたら、38才になります(笑)。
そして今、この瞬間の音楽は、ライムスターのONCE AGAINです。
財産は唯一最初に抱いた動機」という歌詞が、好きです。
自分は、パンクと知り合って以来、ずうっとこんな感じです。
まだまだ終わるわけにはいかないな~と。

誕生日プレゼントで欲しいのは、ノーカラーのロングシャツとか・・・(笑)。
でも相変わらず背が低いので(笑)、着丈があんまり長いと似合いませんね・・・(笑)。

そう言えば、昨日、NHKの特番で三島由紀夫さんの番組があっていて、彼女と一緒に見ていたけど、彼女が、「三島さんて、優しい感じがする」と言った時、ドキッとしましたね。
思想的に(とか偉そうに言いますが)好きではないですが、自分もそんな感じがします。
誤解を恐れずに書けば、三島さんの想いを(やろうとしたことを)「くだらない」とすぐに判断を下すのは、どうかと思います。
三島さんのような想いに、根源的に拮抗出来る言葉を。
拮抗出来るだけの言葉を吐いているのかと!?。
大きくでましたが(笑)、挑戦したい。

それでは、また。
(gotcha1977)









2014年7月2日水曜日

憲法。

今日も「国家」とは何だろうか!?という事をやっぱり考えざるを得ないです。
平和も戦争も国家という存在(しているのか!?していないのか!?)自体を根源的に問う事しか始まらないと思うんですが・・・。
また第一条がある限り、そもそも<ナショナル>もないと思うんですが・・・。


憲法と言えば、明治14年、植木枝盛さん達は、「東洋大日本国国憲案」というものを起草したようです。
その中の第四編で、以下の条文を書いています。

第63条 日本人民は日本国を辞することを自由とす

第71条 政府官圧制を為すときは日本人民は之を排斥するを得
政府威力を以て専恣暴逆を逞ふするときは日本人民は兵器を以て之に抗することを得

また植木枝盛さん達は、それこそ国際情勢が厳しい時に、「無上政法論」というカントさんの「永久の平和のために」を思わせるものも起草しています。
また(また)植木枝盛さんは、究極の理想は、国家の廃絶というとこまで考えていたことに自分は勇気づけられるわけであります。
こういう言葉が、通じないのは解っています。知識とかそういうものではなく、互いに通じないという根源的な所から始めるしかない。
通じないから考える。
簡単(!?)に通じるなら、逆に人間の価値なんかないとも思います。
その通じないという重さに拮抗出来るかどうか!?こそが人間の価値ではないかと思います。
憲法がなんだ、天皇がなんだ、国家がなんだ、そんな観念的なものではなく、この毎日が戦争のような平和な日常という息苦しさの中では・・・。

今日の自分の言葉も、石川啄木さんの言葉 「言葉とおこないを分ちがたき」の真逆のものにすぎない・・・。
そんな自分ですが、アナキズムの「国家の廃絶」という原理・思想(!?)だけは今日も夢想したい、信仰したいと思います。
それこそ大文字のアナキズムかもしれませんが、こういう夢想なく、なんのためのサークルAぞ!?
こんな言葉も、口だけにすぎない・・・。

それでは、また。
(gotcha1977)







2014年6月20日金曜日

長崎。

先日、東京でHッセーと「長崎被爆者に対する暴言」について、結構議論というか素直な考えを言い合ったんですが・・・。

今から記述する事は、誤解を恐れずに素直に自分の意見を述べます。

その新聞記事を読んだのは、ちょうど長崎にいた時に長崎新聞で読みました。
で最初は、「ひでぇ~暴言だ」と思いました。
でも色々と読んだり、自分なりに考えた事は、その中学生は、長崎・原爆・平和・反核という正しさの圧迫感を感じたんではなかろうか!?と。
そんな正しさを感じられない世界への言葉だったんではなかろうか!?と思います。
そんな正しさを感じられない、この平和な日常性に対する彼なりの(それこそ、最近あんまり使いたくない言葉だけど)「闘争」の言葉だったんではなかろうか!?と思います。

言っておきますけど、暴言自体を認めてはいないですよ。
でも「ひでぇ~」とか「反核」とかいう言葉では、もう何も変わらないと思うんですよ。
そんな言葉なんか信じられない人々なんてゴロゴロしているでしょ!?
だからこそ、もっともっと言葉を吐くなら、考えないといけないとホントに思います。
だって今も昔も長崎の原爆につながっているものは、この今、この瞬間にゴロゴロしているでしょ!?
ヤツラが言う「憲法9条改正」がどうのこうとかではなく。
例えば、「男の中の男」とか、そういう言葉こそが、戦争につながっていると思います。

また今から、書くことは、別に公にしたくはないけど、
それこそ自分は、被爆3世です。
大好きだったじいちゃんが、浦上(という長崎の場所です)で被爆して、奇跡的(!?)に助かって、被爆した後に父が生まれて、今の自分がいる。

でも自分は、どちらかというと、長崎の地で、高校生の時くらいから、日本の加害責任の追及の運動とかに興味をもった。
「日帝本国人」とかいう言葉を使いたいわけではなく、長崎って何だろな~!?と思いました。
この日常の裏の世界の縮図ではないだろうか!?と思います。
だからっと言って、日本人特有の虚無的な、「もののあわれ」という、人間としてクソみたいな無責任な心境になる事は、絶対に拒否する。

それでは、また。
(gotcha1977)










2014年6月17日火曜日

東京は、楽しかった!!

先週の金曜から3泊4日で東京に行きました。
Hッセーには、色々と連れて行ってくれて、色んな方々に紹介してくれてホントに感謝しています。
前々から会ってみたいな~と思う方々と会えて良かったです。
人見知りをするので、うまく話せなかったのがあれなんですが・・・。
また再会したかった敬愛している方や会いたかった方々には会えなくて残念でしたが、次回の楽しみにしたいと思います。

着いた初日から、オールナイトのhip hopのイベントに行き、何線(吉祥寺~渋谷)かは忘れましたが、帰りの始発の電車内で、Hッセーと寝入って、2往復もしていた事などいい思い出になりました。
次の日の、1981というフィンランドのアナーコパンクの日本ツアー初日を体験できたのも良かったです。
同じステージで、以前から体験したかったCやUNARMなども見れて良かったです。
そんな今日の音楽は、これです!!

CのAさんとは、2週間前にも福岡で、CONTROLの企画ライブの時に会ったので不思議な感じでした。
いつも何かと誘ってくれて、いつも断ってばかりが続いていますが、ホントにいつも有難く思っています!!

色んな刺激を受けた3泊4日だったので、また明日からCUBASEさんをもっと使い慣れて、自分自身の音楽・言葉を創ろうと思います。
でも最近つくづく思うことは、自戒的に、言葉は声明文であっては面白くないな~と。
自分の言葉には、「詩」がなかったと最近ホントに痛感しています。

それでは、また。
(gotcha1977)












2014年6月3日火曜日

なんじのlongingを空際に投げよ、空際より、なんじが人間に為すべきの天職を捉り来れ、(北村透谷さん)

みなさん、お久しぶりです!!
先ほど、友人と話して久しぶりに投稿しようかな~と思い投稿します。
来週、長年、想い続けている会いたい方に会いに東京に行こうかな~と思っています。

前回の投稿から、ずう~っと投稿する気力がなかったのは、打ち込みソフトをcubase7.5にして、それに慣れるのに精いっぱいで・・・。
慣れない事をほぼ毎日何時間かしていたら疲れきって、眠る感じでした。
慣れたら、楽しくてしょうがないです(笑)。
コードトラック機能とかコードアシスタント機能とか面白いです。また「こういう音色を重ねたい!!」と思いながら、ソフトシンセの音色を探し、イメージに合う音色があった時の快感がたまりません。

(画像は、簡単なコード進行とBUCK-TICKのnew singleの<形而上 流星>)

cubase7.5も最初は、凄く慣れるのに苦労!?(苦労なのか!?言いたい事があるからこそのものだろうと。伝えたい事があるとかではなく、自分自身が言いたい事があるからだろうが。メッセージなんかない、ただ言いたい事があるだけ。) しましたが、操作とかにイライラしたり、うまくいかない事があったりして、投げやりになると、彼女に「あんたが、歌いたい!という気持ちはそんなものか!?そんな半端な気持ちなら、辞めてしまえ!!」と筑豊弁でまくしたてられました・・・。

今日のタイトルにいきます、
北村透谷さんは、橋川文三さんの本にちゅくちょく名前が出てきて、直接に読んでみたい!!と思う方でした。
岩波文庫版・北村透谷選集を読んでみると、物凄く!!くるものがありました。
それこそ<形而上>的な言葉かもしれないけど、「じゃあ、今、何を信じ、何のために生きている!? 解りやすくニュースや世界(!?)情勢を解説してくれる言葉で満足なのか!?解りきったような言葉で満足なのか!?他者を罰するような言葉で満足なのか!?」と。

BUCK-TICKのニューシングルを聴くと北村透谷さんの言葉を読み返したくなり、北村透谷さんを読み返すとBUCK-TICKを聴きたくなる。

形而上というと、<ドイツ観念論>ですかね。
先日、彼女とガンダムユニコーン7を見に行ったんですが、彼女が「あんたが、好きそうな言葉があるね」と言っていましたが、
自分は、「人間だけが神を持つ、今を超える力、可能性という名の内なる神を」というセリフが好きなんですが、ユニコーンに出てくる言葉を聞くとカントさんを思うんですが、一方でカントさんの「道徳律」やルソーさんの「一般意志」は、恐い感じがします。
「じゃあ、自分はどうしたらいい!?」に尽きると思うんです。答えなく、それを考え続ける事を北村透谷さんの言葉の数々から学びました。
そう素直に感じられたのは、やっぱり<パンク>のおかげかな!?と思います。
There is no authority but yourself!!


吾れ世にただようこと数戴、未だ曾て疑迷を脱せず、希の哲学も近世の哲学も、悉く以て、余を慰癒するに堪えず、もうもうとし、恍々とし、虚然とし、鬱然とし、想至り情極むとも、以て余を如何ともするなし。(北村透谷さん・渡守日記)」

運命人間の形を刻めり、境遇人間の姿を作れり、不可見の苦縄人間の手足を縛せり、不可聞の魔語人間の耳朶を穿てり、信仰なきの人、自立なきの人、寛裕なきの人、往々にして極めてあわれむべき悲観に陥ることあるなり、之に加ふるに頑愚の迷信あり、誤謬の理論あり、惑溺の痴心あり、無憑の恐怖あり、盲目の驕慢あり、涯なき天と底なき地の間に、
what a poor wretched creature as i am,
creeping between heaven and earth.
と絶叫するもの、豈ハムレットのみならんや。(罪と罰の殺人罪)」

人は理想あるが故に貴かるべし、もし実存の仮偽なる境遇に満足しおわる事を得るものならば、吾人は人間の霊なる価値を知るに苦しむなり。理想なくては希望もあるまじ、希望なくては生命もあるまじ、唯だ理想あるのみにては何の善きを見ず、吾人は理想を抱くと共に、理想の終極まで貫き至らん事を望むべきなり。(一種の攘夷思想)」

造化は人間を支配す、然れども人間もまた造化を支配す、人間の中に在する自由の精神は造化に黙従するを肯ぜざるなり。造化のちからは大なり、然れども人間の自由もまた大なり。人間豈に造化に帰合するのみを以て満足することを得べけんや。(内部生命論)」

北村透谷さんの言葉は、浮き沈みが激しいんだけど、近代日本の歴史の重圧の中で、日本的な共同幻想の中で、いかに「詩的生命」は可能か!?を懸命になって放ったものだと思います。

北村透谷さんと<文学界>同人の平田禿木さんは、日清戦争(明治27年)の時にこういう言葉を吐いています、
如何に快心なる国民的発動と雖も、如何に壮偉なる国家的観念と雖も、決して詩的永遠の生命を有するものにあらざるなり・・・」


北村透谷さんや最近、読んでいる他の本や聴いている音楽について書きたいことがいっぱいあるけど、寝ます(笑)。
色川大吉さんが書かれた「北村透谷」という本も、凄く良かったです。

この投稿の最後に。
BUCK-TICKのシングル<形而上 流星>の、「胸を裂く 破裂する きっと死ぬほど美しい 夢を見た」という歌詞は、くるものがあるけど、その美は、果たして全体の幸なのか!?幸と美は調和するのか!?罪ではないのか!?。でも見てみたい。
このシングルを聴いてから、カントさんの言葉(道徳形而上学原論という本)を読み返しているけど、そんな想いにさせられる。
今月4日に、BUCK-TICKは、「或いはアナーキー」というアルバムをリリースするみたいです。
曲もいいけけど、ボーカルの櫻井さんの言葉の一つ一つを大切にした歌い方がきますね。
ぞくっとします。曲もかすかに聞こえたりする細かいシンセの音が好きです。

それでは、また。
(gotcha1977)















2014年2月4日火曜日

CUBASEさんとか。

みなさん、お久しぶりです。
早いもので、年が明けてもう1ヵ月も経ちますね。

昨年末くらいに、CUBASEさんに色んなVSTインストゥルメント(エフェクト)を組み込んでから、それにくびたっけになっています。

ここ何年かの間、引っ越しや病気やそれ以外にも色んな事があったり、色んな感情が芽生えましたが、今年中には、次の構築へ向けて行きたい(生きたい・活きたい)と思っています。


それにしても色んなエフェクトがありすぎて、色んな音を重ねすぎて、訳が分からなくなり、色々試して、創ったものを次の日に聴いたら、面白くない!!と思い削除したりの繰り返しです・・・。

そろそろCUBASEさん自体を最新の7バージョンにしようかな~と思っています。


また最近は、以下の音楽を聴いています。

・GODSPEED YOU!BLACK EMEPEROR  「Allelujah! Don't Bend!Ascend!」

・Joy Division  「CLOSER」

・MASSIVE ATTACK  「MEZZANINE」

・SCHAFT   「SWITCHBLADE」

・XINLISUPREME   「MURDER LICENSE」 「4 BOMBS」
(凄まじい情念を感じます。)


話ががらりと変り、先週末、長崎に行きました。
久しぶりに「長崎らんたん祭」を見ました。
この祭りは、自分が高校生くらいに始まったと思うんですが、始めの頃は湊公園くらいだけで開催されていたのに、規模が大きくなっていて、また人の多さにビックリしました。
彼女は、中国獅子舞が見れてご満悦でしたが。

またオランダ坂を何十年ぶりかに歩きました。
オランダ坂へ向かう道が広くなっていて、これまたビックリ!!
このオランダ坂を上ったとこにある学校に、中・高6年間を通っていました。
彼女は、「なんかキザな学校名ね」と笑っていましたが。
自分は、オランダ坂を歩いている時は、校歌を歌っていました・・・。
「国家の歌」の歌詞は、ホントに覚えていませんが(覚える気がない!?)、校歌の歌詞は今だに覚えています。
彼女は、「美輪さんも覚えてるんかな!?」とか言っていましたが・・・。

それでは、また。
(gotcha1977)