2016年8月25日木曜日

無題。

みなさん、こんばんは。
人の上に人を奉じているこの国家に生きています。人間としての恥辱も何もあったものではない。
あの方々の自由も解放もない限り、この国家の元における「国民」とやらにとっては、自由という言葉は幻想です。奉戴精神は、今もこの瞬間に連続している。
自分もあなたもその息苦しさを誤魔化すべきではない。

原民喜さんの言葉に以下のような言葉が、あります。
スベテアッタコトナノカ アリエタコトナノカ パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ
広島の原爆の後に、こういう言葉を吐いたらしいが、それは今この平和と呼ばれる日常、ホントに絶望していない自分の日常、絶望から逃げている自分の日常に連続している。
自分のおじいちゃんが、長崎で見た光景に連続している。
そんな事を考えていると、思い出す言葉は、金子光晴さんが「絶望の精神史」という本の中で吐いた以下の言葉です、
日本人の誇りなど、たいしたことではない。フランス人の誇りだって、中国人の誇りだって、そのとおりで、世界の国が、そんな誇りをめちゃめちゃにされたときでなければ、人間は平和を真剣に考えないのではないか。人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物ではないか、とさえおもわれてくる。」

また金子さんの「寂しさの歌」という詩は、読んでいて何とも言えなくなります。
問題は、憲法がどうのこうのとか皇室典範がどうのこうのとかより、中野重治さんの言葉を借りれば、一人の人間にとって「憲法以前のところ」だと思います。


ちなみに最近の自分は、なかなかきちんとした楽曲というものが、創れずに悶々としています。
どうシンセストリングスやシンセパッドを絡めようか!?とか。

でも表現しなければ、納まらないものがあるのでやるしかないんだと。
確認するような安心するような言葉ではなく、つきつけてみたい言葉があるのでやるしかないんだと。
歌詞カードのブックレット構成は、すでにありますというか書いています。歌詞より長い言葉をぶちこめたいと思っています。
ヘルプの女性ボーカルは、小さい時にピアノをしていたみたいで、自分がピアノロールで打ち込みしたものよりも、やっぱりタッチが違うというかベロシティが違います(笑)。


最近、聴いてる音楽は、

・石野卓球さん 「LUNATIQUE」

・忌野清志郎さん 「GOD」

・宇多田ヒカルさん 「DEEP RIVER」

・電気グルーヴ 「人間と動物」 「VOXXX」
(ホントに何で今まで聴かったのか!?と後悔するほど、これ以外のアルバムもよく聴いています。CUBASE6.5を使っているらしいけど、どう使っているのかホントに知りたいです(笑)。

・Donna Summerさん 「I Feel Love」 「Bad Girls」

・Giorgio Moroder  「from here to Eternity」

・Liaisons  Dangereuses  「Liaisons  Dangereuses 」

・Metallica  「st.Anger」

・New Order  「Technique」  「music complete」
(今、一番聴いているバンドです。今は、CRASS以上に聴いています(笑))

・SCHAFT  「Deeper and Down」

・SOFT BALLET 「EARTH BORN」
(先日、メンバーの森岡さんが亡くなった時、芸術家や音楽家や文学者と呼ばれる方の死に初めてショックを受けました。8月9日のMinus(-)の福岡公演を物凄く楽しみにしていたのに・・・。もっともっと美しいメロディが聴きたかったし、生きている事を全身で表現するダンスが見たかった。)


・World's End Girlfriend  「The Lie Lay Land」

それでは、、また。
(gotcha1977)








2016年4月5日火曜日

one and help

みなさん、おひさしぶりです。

先日、閉幕したセンバツ高校野球。
自分の出身校は、センバツ初勝利をして、ベスト8に進みました。
いや~ホントに嬉しかった!!
見た事ない顔で応援していたみたいで、彼女は軽くひいたらしいです・・・。
彼女いわく、「ホントに嬉しい時は、やったー!!という顔をしないものなんやね」と。

初戦の長田戦は、相手の応援が凄すぎて、長﨑の田舎チームなんで気後れするのではないか!?と心配でハラハラでしたが、よく守りきりました。
二回戦は、ホントに感動しました。ただそれだけです。
準々決勝は、最後に大差がつきましたが、それでも最終回に1点を諦めずにもぎ取り感動しました。
夏も楽しみです。

2回も校歌を甲子園で聞いたのは、自分は初めてです。


高校野球の話は、ここまでで。


GOTCHAは、先日、自分一人になりました(ヘルプの女性ボーカルはいますが・・・)。

色々、考えたんですが、自分は、まだまだ突きつけたい!と思いますし、狂おしく求めたいと思いますので、続けます。
今まで、歌詞を書いて、ボーカルしかした事ない。アイディアは出しても曲とか創ったことないし、楽典の事やシンセのつまみやDAWの深い扱い方や、今やる事を思い浮かべると山ほどありますが、
やるしかないんですね。
だから時間はかかりますが、来年には新曲を久しぶりにリリースしたいなぁ!!と思っています。
今日のブログ記事タイトルの、「one and help」というタイトルで。
単純に今のGOTCHAの状態という事と、深い意味を込めて。
また歌詞カードには、今まで溜りに溜まった想いを余す事なくぶちこめたいと思います。
1946年11月3日から(その前から続く日本人の日常に、自分自身に!!)連続する問題に焦点をあてたいと思っています。


最近は、読んでいる本は、

・友川カズキさん 「友川カズキ独白録」


・金子光晴さん  「詩人」 「絶望の精神史」 「日本人の悲劇」 「残酷と非情」


・中野重治さん  「日本語 実用の面」



また最近よく聴いてる音楽は、

・MINUS(-)   「D」 「G」 (8月に久しぶりに生で体感できるのが、今から楽しみです)


・電気グルーヴ 「DRAGON」  「A」  「25」 「shameful」


・YMO   「solid state survivor」 「BGM」


・DEPECHE MODE  「music for the masses」

・NEW ORDER  「substance」


・友川カズキ 「復讐バーボン」


・RHYMESTER  「Bitter, Sweet,Beautiful」


・SCHAFT   「ULTRA」


・CHUMBAWAMBA  「ANARCHY」 「TUBTHUMPER」


・CONFLICT  「THE UNGOVERNABLE FORCE」


・CRASS  「Best Before」
(パンクの衝動、怒り、悔しさが弱くなっているな~と自分自身で感じると、やはりこのアルバム収録のgotchaを聴いてしまいます。それは、CONFLICTのINCRESE THE PRESSUREと題されたアルバムと同様に。)



それにしても最近、表だって何もしてないから、偉そうなことは言えないけど、(まぁこれもおかしな言葉ですよね。なんかしてないと、言葉も吐けないとか、正に資本主義国家に毒された考え方だと思う。正に権力は、至るところにある。この地では、それに天皇制がつく・・・)。

最近、ホントに思う事を、以下に。

どこにいても、安心できる言葉を求める。
理解できない言葉を排除する。
想像力も安心を求める。
想像力も排除する。
それで満足か!?
そのくらいで満足か!?
言葉の射程は短い。
想像力の射程は短い。
それが限界か!?
そのくらいで限界か!?
揺さぶられる言葉を恐れる。
想像力は、本当は恐れている。

私には言葉がない。あなたには言葉がない。
正しい言葉しかない。清い言葉しかない。
反応する言葉しかない。共感する言葉しかない。
讃える言葉しかない。
まとまった言葉しかない。 束ねられた言葉しかない。
人間的な言葉しかない。
間違った言葉がない。殺される言葉がない。
絶望的な言葉を。未来と言う言葉なんか聴きたくない。

追記(5月25日):
オバマが広島を訪れることが、そんなに歴史的なことだろうか!?
自分たち自身の歴史を創れないまま。
平和的な日常という言葉が、自分たち自身を回収する歴史が続いているままの今、この瞬間に。
平和的な日常とやらは、とっくに崩壊している。
広島・長崎を記憶しても記憶してないものが多々ある。
そもそも1945年8月6日・8月9日までが平和だったのか!?
天皇制国家日本の元における平和的な日常には、1945年8月6日・8月9日に連続する問題が今もある。



それでは、また。
(gotcha1977)







2016年3月6日日曜日

Dischargeの曲名じゃないけど、WHY WHY WHY BUT WHYで溢れる日常。

先日の投稿に続けて、3月に入って間を空けずにの投稿です。
みなさん、こんばんは。

今日も、人間(!?)としての暖かさや嬉しさや優しさや切なさがありますが、そういう想いもすぐに何かによってなくなるのだろうか!?
誰かを想う気持ちとかかき消され、何かに委ねるのだろうか!?


山城むつみさんの「連続する問題」という本のなかに<終戦記念日に連続する問題>という何度も読み返す文章があります。
その中で、こういう一節があります。
実際には、戦時下にあっても人々は合理的な思考を多分に持っていたのであり、合理的な思考を保ったまま幻想に踊らされたというところにこそ厄介な問題があるのだ。」

今も連続しているこういう問題、日常は、なぜなんだろうか!?
なぜなんだろうか!?
どうしたら抜けられるんだろうか!?

国家や秩序や民族とか、そんなに魅力があるのだろうか!?
どうなんだろうか!?

アナキスト和田久太郎さんは、
弱き者よ、その弱さに徹せよ」と言う想いをある文章で書いていましたが、彼が生きていた時間から連続している今、この瞬間の日常にかき消される想いなんだろうか!?


最近、こういう暴力がありましたね。
http://oidashisuruna.blogspot.jp/
正に、Dischargeのstate violence state control。
暴力とは何なんでしょうか!?
こういう暴力を容認して(普段は、泣けるとか切ないとか言う言葉が溢れる日常で)自分自身が造っている共同幻想とは何なんでしょうか!?

あるパンクスの友人は、こういう事をアナキズム5号で書いています、
基本的に弾圧とは、それが一人に対するものであっても皆への弾圧だ、と受け止めるべきである。」

こういう原則は、守られるべきものだと思います。

少し前まで、こういう暴力に対して、少しはもっと敏感だったはずなのに、最近鈍感になったと思います。
(これまたパンクバンドですが)DOOMの曲名じゃないけど、正にPOLICE BASTARDは、自分自身だ。

そんな今日の音楽は、久しぶりにCONFLICTのincrease the pressureです。
高校生の時に、このアルバムを聴いて、こういう人間(なのか!?)になりました。
その時の衝動に反する生き方だけはしたくない。その時の衝動に対する立ち方だけはしたい。
それにしてもただ悔しい。

(またまた)それにしても、他のクニの動きや音楽やなんやらで、燃える!と言う想いになる前に、そういう言葉を吐く前に、この地に連続している、自分自身に連続しているものをもっともっと凝視すべきなんだと思います。
そういう意味で、辺見庸さんの「1937」を読みたいな~と思っています。

それでは、また。
(gotcha1977)













2016年3月1日火曜日

いや~嬉しい!!。後半はガラリと変わりますが。

みなさん、かなりお久しぶりです。
久しぶりの投稿ですが、今日は、前半は、いつもと全然違う趣向の投稿になります。

結構前の先日の土曜日、久しぶりにスポーツ新聞を2紙も買いました。
なぜか!?
それは、自分が中学・高校を過ごした出身校が、久しぶりに「センバツ」出場が決まったからです!!

夏は、一昨年も17回目の甲子園に出ましたが、春はホントに久しぶりなので嬉しかったです。
というか小学生の時から、この高校の野球部のファンで、どんな大会でも今でも一喜一憂しています。
中等部に入学した時、食堂などで野球部の方々と話した時は感動したのを今でも覚えていますし、1990年度の主将の方と撮った写真は今でもあります・・・(笑)。
また中一の時(から中三まで)の担任の先生が、自分が野球好きを知って、その当時大山という所にあった野球部専用グランドに見学に連れて行ってくれた事は、今でも有難く思います。
その先生(在学中に亡くなった)は、いつも「君は、どういう生き方がしたいかね!?」みたいな事を訊いてくるような方でした。この先生には、ホントに影響を受けました。
自分が悩んで、登校拒否をしている時は、毎日、夕方家まで来る先生でした。
学校に来なさい!とも言わず、ただ話して帰る先生でした。

ちなみにどんな大会でも勝つと校歌を歌っているので、彼女も校歌を歌えるくらいです(笑)。
彼女に「音楽以外で、あんたが素で興奮しているのはこれだけやね」と言われます・・・。
そんな彼女も勝って校歌を甲子園で聞いてみたいね!といつも言っています。
「稲佐の山の気高き姿~鶴の港の真澄の心~♪」

彼女とは、2014年の夏の甲子園で投げて、昨年、中日に育成ドラフトで入団した投手を応援しています!!。
球団の応援は別として、阪神のある一人の選手や西武のある一人の選手も応援しています。

出場回数だけ多くて、長﨑では、デルトマケとか内弁慶とか言う方々もいますが・・・、
どこと対戦しようが、長﨑からの大舞台で緊張すると思いますが、いい試合をしてもらいたいです!!
正直、昨年秋(県大会を優勝したものの)、九州大会の一回戦で沖縄の興南高校と決まった時、あまり結果を期待しなかった時に、すぐに結果をあえて見なかった時に、先に彼女が結果を見て、「あんた、勝ってるよ!!」と言ったので、ビックリしました。
その勢いで九州大会を準優勝したので、すごく興奮しました。
九州大会・準優勝は、元ロッテの堀さんがいた時のチーム以来かな!?

ちなみに自分が、6年間通った学校は、オランダ坂と言われている所を登った所にあるのですが、通っている時は、「なんでこんな所によく観光客が来るんだろう!?」と思っていましたが、その坂には、もっと大らかでゆるやかな人々の行きかいや交流(勿論、様々な打算や欲望も)があったんではないか!?と今思うと色んな想いになります。
金子光晴さんの「江戸につながるなにものもなく」という文章の中の以下の言葉を想います。
江戸につながるなにものもなく、のこっているのは、千切りにされた、勘定高い、せち辛い現代人があるだけだ。」

また「江戸はひとつの田舎ですよ」という文章の中には以下の言葉があります。
固有のものは観光客を目的としたものにかわっていくわけだね。そういう風な傾向に便利なように、昔のことをひっぱり出してくる。テレビのふるさとの歌まつりとかをやる場合に、ふだんやってない蛇踊りとかをひっぱり出してきて、いわばそれをおとりにして、長崎をきわ出たせようとする。だから本当の長崎はなんだか、というとすこぶるわからなくなってくるわけですよ。」

やっぱり<われわれ>は、根源的な空洞の中にいるという絶望を何かに預けるべきではないと思います。自身のなさ、自信のなさを何かで誤魔化すべきではないと思います。



ちなみに、野球は好きですが、「侍」という言葉を聞くと、虫唾が走ります。
侍が、そんな大したものだと思いませんし、侍を美化しすぎ。
これも明治の教育のせいですか!?そのせいで、どんだけの方々が追い詰められたんですかね!?
侍は、とうの昔から官僚的だったと思います。
「誰々は、現代の侍」とか聞くと、怒りがこみ上げます。
そんなものに民族性なんかない。そんなものに文化なんかない。
それが、民族性で文化なら、なんてこの地の貧しさだ。
そんなものに優越心なんか持てません。
そんなものこそ、われわれの貧しさ、虚しさだと思います。

それに、名ばかりの謝罪や世界記憶遺産やら近代産業がお好きなようで。
奉戴精神や番付の心理やら天皇制感覚やらが酸素になっているこの地で、世界やら近代やらと言う言葉を吐くにはまだまだ早すぎる。
その酸素に亀裂をもたらせずに、その酸素に包まっている自分自身が許せない。
明治維新の前に、改憲の前に、自分自身は、中野重治さんの言葉を借りれば「憲法以前のところ」だと思います。
明治維新は、「人間」を産みはしなかったと思います。
そもそも、この地にホントに「ナショナリズム」なんて大そうなものを産もうをしたことがあったんでしょうか!?。また<大陸浪人>の行動に英雄主義なんか持てません。
産まなかったくせに(産もうとしなかったくせに)、優越心なんか持つなよ、逆に人間としての恥辱だ!。
まずは、この認識を自分自身に刻みたいと思います(一人の人間となりたいために)。
その認識を刻むための言葉であり、音楽だと思います。
それが、この地に生まれ落ちた自分自身にとっての言葉であり、音楽です。

それから「選挙」に収斂してしまう<運動>とやらには、凄く虚しさを感じます。
それ以外で、
<われわれ>を直接突きつけている運動 (例え何かの記事にならなくても、多くの人々の関心にならなくても) に触れた事があるから(今も自分自身が知らないあらゆる所で突きつけている方々がいる。)。


対案とか現実的(って何!?諦め!?物分りの良さ!?)とか、虚しい言葉だと自分は思います。
クソ!、ヤツラの土俵の言葉じゃないか!!

この投稿の最後に(タイトルとは逆に!!)、いや~この地に流れている自然的な時間の中に包まれて許される自分自身にイライラしています。

またまたそれから、「大和魂」って何!?
大和なんてそれこそ一地方の呼び名にすぎないでしょ!?
征服者の魂、宿してどうするんだよ!?
その魂というものが、どれだけの方々を追い詰めたんでしょうか!?
そんなものに美意識とか文化なんかないと思います。

そう言えば、(これまた結構前に)、母親が絵が好きなもので、藤田嗣治さんの映画(FUJITA)を見たい!と言い(オダギリさんは格好いいですね)、一緒に見に行きました。
自分の感想としては、日本的な美や文化とか感じなく、良くも悪くも、日本的共同幻想や日本的な無責任の体系性を感じる映画で、そういう流れの中で今の自分がいるという息苦しさを感じた映画でした。反戦映画というより「the日本」という映画でした。
またあの映画からは、藤田さんが<近代的自我>を持っていたとは思えなかった。
またあの映画監督は、日本的共同幻想の良さに藤田さんには気づいて欲しかったみたいな事を言っていますが、それが、どれだけの方々を追い詰めたんでしょうか!?
それこそ「空漠不徹底な独断(柳田国男さんの言葉)」じゃないでしょうか!?

またリメイクされた「日本のいちばん長い夏」と言う映画を見たけど、なんか~!?日本人特有の天災で流して、お涙頂戴みたいな、みんな<いい人>みたいな映画でした。
悔しき映画だった。悔しくなる映画だった。
なんかよく「長崎」と言われるが、長崎とは、なんなんだろうか!?
<いい人>が、長崎を引き起こす。<いい人>が、加害者にもなり、被害者にもなる。
自分自身が造り出す今によって。
もっともっと突き刺すような言葉を吐いてみたい。
もっともっと絶望させられるような言葉が聴きたい。


それにしても普段は、(良くも悪くも) 自分の事や<家族>や<仲間>のことしか考えない(金子光晴さんの言葉を借りれば!)「理想のない、消極的な、ぐうたらな」 「移りゆくものといっしょに生きてゆく」日本人(まさに自分自身!!)のくせに、なにかの時だけに悲壮感を持ち、美化し、金子光晴さんの詩のタイトルの言葉・「寂しさの歌」に導かれるなんて、人間としての貧しさ・虚しさだと思います。

それにしても、自分は、一人の人間としての悔しさ、貧しさ、虚しさ、寂しさなどをホントに感じているのか!?
もっともっと感じるべきなんです。ホントに感じられない絶望を。
自分は、今この瞬間をもっともっと絶望すべきなんだと思います。
自分は、今この瞬間をもっともっと生きるべきなんだと思います。
しかし、今、自分は、生きることが分からないし、何をもって生きたらいいのか!?が分からない。自分には、なにもない。
あなたは、何をもって生きていますか!?
家族だろうか!?友人だろうか!?仕事だろうか!?趣味だろうか!?音楽だろうか!?本だろうか!
こういう話を彼女にすると、「寂しいね」と言われました。

ちなみに、ある友人(というか先輩)が、「反戦」という事について、自身のブログで記事を書いていましたが、パンクスにとって馴染み深いこの言葉(crassやconflictが言っていたからとかではなく)が、自分にとってホントにどういう生き方を問うているのか!?
何が「GOTCHA」だよ!?
ホントに認識して、ホントに生きて、ホントに闘っているのか!?
ホントに鼓動を鳴らしているのか!?

久しぶりの投稿も、音楽で言えば、<転調> (しかもまとまりのない!)ばかりで、すみません。
♯ファ ド ソ レ ラ ミ シ  ♭シ ミ ラ レ ソ ド ファ



今日の音楽は、
友川カズキさんの「復讐バーボン」というアルバムです。
何十年も前に、パンクの先輩にCDを借りたような気がします。
それから昨年まで聴かずに過ごしていたのですが、書店でたまたま「友川カズキ 独白録」という本を手に取ったところ、これは読みたい!!と思い、すぐに購入しました。
それから、久しぶりに友川さんの音楽をよく聴いています。

この本の中には、何度も読み返してしまう言葉が、多々ありますが、
よく読み返すのは、「何に焦がれていくのか」、「何を焦がしていくのか」というとこです。

またドキュメンタリー映画「花々の過失」をdvdで何度も見ましたが、「おまえはどうするんだ?」ってね、胸ぐら掴まれて問い詰められてるよう(独白録の中の言葉)な映画でした。

(またまたですが)、今の自分を問い詰めるような言葉は、「海みたいな空だ」という曲の中の以下の歌詞です、
人がある 国がある
 のんきに錆びつくものがある
 群れて許される顔に
 目ん玉を投げつけてやる

復讐バーボンというアルバムの中に、「家出青年」という曲がありますが、
その中に、「悔しき暴力である」という歌詞がありますが、今もこの瞬間にある暴力に、自分自身が造っている暴力に、群れて許される暴力に、ホントに悔しさを感じているのか!?
気休めみたいな希望で流す自分を許す自分自身。
馴された希望の言葉に奥歯を噛みしめていたい。
未来という言葉に奥歯を噛みしめていたい。

それでは、また。
(gotcha1977)
































2015年2月2日月曜日

ぎこちなく、それは、それはか細く、いつ消えるかもしれない鼓動を奏でたい、一緒に。

みなさん、どうも。久しぶりに間を開けずに投稿(笑)。

先日、昔からの腐れ縁(笑)の方と長時間話をしていて、今日のタイトルの言葉を思いました。

先日(このブログで紹介したminus(-)とLillies and Remainsですが)、彼女と、Lillies and RemainsのROMANTICISMリリースツアー2015(special guest・ minus(-) )の福岡ライブに行きました。

一言で言うと、ホントにホントにホントに!!感動しました。
久しぶりに、この音の空間にいたいと思いました。この音を浴び続けたいと思いました。
気持ちが良かったです。

minus(-)は、森岡さん・藤井さん2人のシンセ(だけのセッティング)や打ち込みの音が美しすぎて泣けました(ホントに)。生は、音源以上に良すぎました。
お二人とも格好良かったです。

Lillies and Remainsは、音源とは違った楽しみがありました。
音源以上に、ライブは良かったです。Bodyという曲が生で聴けたのは良かったです。

彼女も音が気持ち良かったようで、また体感したい!!と言っていました。
でも彼女に、ライブ後にご飯を食べている時に「あんたは、声質はいいと思うけど高音に伸びがないんよね」と駄目だしされました・・・。

そんな自分ですが、最近やっと楽譜が読めるようになりました(笑)。
以前から、TKさんに「感覚的だけでなく・・・」と言われていましたが・・・。

そんな今日の音楽は、これです!!

最近、リリースされた2015年版の「悪の華」。



それでは、また。
(gotcha1977)







2015年1月25日日曜日

2015年。

みなさん、かなりお久しぶりです。
2015年ももう1ヵ月近く経ちますね。
いかがお過ごしでしょうか!?
2014年も色々とありまして(それは、みなさん一人一人もそうでしょうね)、何十年の付き合いになるTKさんと互いの想いを今までになく激しく罵り合い(笑)、言い合ったりしたり・・・。たまには、罵り合うのもいいものです(ホントに)。

まぁでも最近は、新機材を使ってTKさんと新曲創りを少しづつ開始したとこです(そして、一緒に奏でたいもう一人の方を待っているところです。人間的にというか(笑)、感覚的に惚れているので、諦められません(笑))。

ちなみに新曲達のテーマは、「POP」!!
深い意味を込めてですが、POPって難しいですね。
それは、単純に曲調だけの事ではなくて、一体化される(されてしまう)POPではなく、あくまで個的なPOPが、いかに普遍性を帯びうるものになりうるのか!?

曲調だけではなく・・・と書きましたが、(勿論!!)曲調も大切な事で、TKさんに「耳に残る、グッとくるやつ」とか「もっとはじけた感じ」とか「爽やかな感じだけど、内にドロドロした感じ」とか「もっと美しい感じ」とか「それ、前と同じで面白くない」とか昔から相変わらず解りにくい事を言っています・・・(笑)。
でも挑戦したいな~と。まずは、新機材を使って新曲3曲くらいを創りたいな~と。




最近というか昨年から繰り返し繰り返し読み返している本は、以下のものです。

・橋川文三さん 「順逆の思想 ~脱亜論以後~」 「日本の百年4巻 明治の栄光」

・松本三之介さん 「日本の百年2巻 わき立つ民論」 「日本の百年3巻 強国をめざして」 「明治精神の構造」

・山城むつみさん 「連続する問題」

・林淑美さん 「昭和イデオロギー ~思想としての文学」 「批評の人間性 中野重治」

・辺見庸さん 「死と滅亡のパンセ」 「自分自身への審問」

・石原吉郎さん 「望郷と海」

・中野重治さん 「五勺の酒」 「村の家」 「緊急順不同」 「中野重治評論集」
(中野重治評論集に収録の<風習の考え方>という短い文章の中の「事実をいろどるあるイデオロギー的なもの」という言葉に衝撃に受けました。
毎日、自分も逃れなくそういうイデオロギー的ものに流され、自分自身が、あるイデオロギー的なものにくるまって、何かをこぼれおちさせているのだろう。そういうイデオロギー的なものを突き抜けたい、ただ強くそう思う。)


・アナキズム18号 
http://anarchism.sanpal.co.jp/item/1104

こういう方々の言葉や友人達の何気ない言葉や湧き上がるような言葉に触れると、自分の言葉なんかは、ただそれっぽい事を言って自己満足しているだけではないのか!?と思います。
それっぽい音楽を聞き、それっぽい本を読み、それっぽい自分。
ホントは、自分の中の問いなんかなくて、自分自身の中から湧き上がる問いなんかなくて、その事を凝視せずに、自分一個が、ただ一人の人間になるために、自分自身で一人の人間を産むためにホントに問われている根源的な事は何のか!?を思考せずに、それっぽくポーズ(ポーザー)を取っているだけではないのか!?と。

そう自問すると、「火傷するような恥(中野重治さんの言葉)」」を感じます。
この恥を払いのけたいために、自分自身の言葉を産まないといけないと思っています。
ホントに怒っているのか!?ホントに悔しいのか!?
ホントに見たいのか!?ホントに聴きたいのか!?ホントに語りたいのか!?
ホントに奏でたいのか!?
ホントに人間であるがゆえの恥辱を感じているのか!?
ホントに人間であるがゆえの恥辱を払いのけたいのか!?

1871年に感染し1910年代に発症して以来、現在までずっと連続している問題は今後も執拗に連続し続ける。
だから、まずは、確固たる加害者を自己に発見することを避けてはならない。被害の事実を誇張することで自身の加害の事実を『なかった』ことにする姑息な被害者意識、加害者としての自己を他者に投影した上で他者を攻撃する臆病な雄々しさに身を委ねてはならない。
確固たる加害者を自己に発見する勇気を、まずは、自己のうちに育てよ
(山城むつみさん・連続する問題)」

問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている
(石原吉郎さん・ペシミストの勇気について)」

一言でいい、マグマのように自分の底の底から湧き上がるような言葉を吐きたい、叩きつけたい。
その一言は、永久に出ないのかもしれない。
でも、だからこそ自分は思考したい。想いたい。見つめたい。悔しがりたい。怒りたい。

またなぜ自分は、自分が生まれる前や物心つくまえの言葉を読まないといけいないのか!?を後押しする文章は以下のものです。
http://www.linelabo.com/takeuchi-selection.htm
この文章は、自分がいつも想い返していて、勇気づけられる「歴史的個体に対する人間の固執的エネルギー」という橋川文三さんの言葉を改めて想い起こさせてくれました。
自分は、自分の「力・エネルギー」を、どう配置するのか!?どう配置したいのか!?


また(また)昨年から、よく聴いてる音楽は以下のものです。

・BUCK-TICK  「或いはアナーキー」 「SEXY STREAM LINER」
(昨年は、2回も生で体感出来て良かったです。SEXY STREAM LINER収録の<Schiz・o幻想>という曲を一度、生で聴いてみたい!!)

・SOFT BALLET  「DOCUMENT」 「LOVE AND PEACE」
(LOVE AND PEACE収録の<SAND LOWE>という曲は、いろんな音や声が聴こえてホントに好きです。)

・MINUS(-) 「D」
(アルバム全体を通しての流れや各々の曲が美しく好きです。今週、生で体感できるのが楽しみです。)

・LILLIES AND REMAINS 「MERU」 「ROMANTICISM」
(ROMANTICISM収録の<Body>という曲は大好きです。これまた今週、生で体感できるのが楽しみです。)

・THESE NEW PURITANS 「HIDDEN」 「FIELD OF REEDS」
(こういう雰囲気のバンドは、どういう訳か大好きです(笑)。)

・ライムスター 「MANIFESTO」 「POP LIFE」
(POP LIFE収録の<そしてまた歌い出す>という曲は、中野重治さんの村の家という小説の中の言葉<よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。>を想い起こさせます。
またMANIFESTO収録の<ラストヴァース>という曲の歌詞は、ホントに好きです。
例えいつかジャンルごと消滅しても その詩だけは時代を超越 そんな最高の最後のヴァースを夢見て 今また挑戦する・・・
もっともっと一言、一音にこだわりたい。。と思わされます。
それにしても一度、生で体感してみたい。ねぇ、Hッセー(笑)!?そして体感した後に、あなたと色々と言葉を交わし合い、一緒に言葉を創造したい。)

・K ダブシャイン+宇多丸 「物騒な発想」
(歌詞が問いかける。お前は、火傷するような恥を感じないのか!?と。お前の日常、お前の毎日が、例外なく歴史的な瞬間の中で、お前は、どうするんだ!?どうしたいのか!?と。
そして<えらく地味で地道だがお前の敵はしぶといぜ>という歌詞を聴くと、
埴谷雄高さんの<敵は制度、味方はすべての人間、そして、認識力は味方の中の味方>という言葉を想い起こさせます>。

後30分くらいしたら、38才になります(笑)。
そして今、この瞬間の音楽は、ライムスターのONCE AGAINです。
財産は唯一最初に抱いた動機」という歌詞が、好きです。
自分は、パンクと知り合って以来、ずうっとこんな感じです。
まだまだ終わるわけにはいかないな~と。

誕生日プレゼントで欲しいのは、ノーカラーのロングシャツとか・・・(笑)。
でも相変わらず背が低いので(笑)、着丈があんまり長いと似合いませんね・・・(笑)。

そう言えば、昨日、NHKの特番で三島由紀夫さんの番組があっていて、彼女と一緒に見ていたけど、彼女が、「三島さんて、優しい感じがする」と言った時、ドキッとしましたね。
思想的に(とか偉そうに言いますが)好きではないですが、自分もそんな感じがします。
誤解を恐れずに書けば、三島さんの想いを(やろうとしたことを)「くだらない」とすぐに判断を下すのは、どうかと思います。
三島さんのような想いに、根源的に拮抗出来る言葉を。
拮抗出来るだけの言葉を吐いているのかと!?。
大きくでましたが(笑)、挑戦したい。

それでは、また。
(gotcha1977)









2014年7月2日水曜日

憲法。

今日も「国家」とは何だろうか!?という事をやっぱり考えざるを得ないです。
平和も戦争も国家という存在(しているのか!?していないのか!?)自体を根源的に問う事しか始まらないと思うんですが・・・。
また第一条がある限り、そもそも<ナショナル>もないと思うんですが・・・。


憲法と言えば、明治14年、植木枝盛さん達は、「東洋大日本国国憲案」というものを起草したようです。
その中の第四編で、以下の条文を書いています。

第63条 日本人民は日本国を辞することを自由とす

第71条 政府官圧制を為すときは日本人民は之を排斥するを得
政府威力を以て専恣暴逆を逞ふするときは日本人民は兵器を以て之に抗することを得

また植木枝盛さん達は、それこそ国際情勢が厳しい時に、「無上政法論」というカントさんの「永久の平和のために」を思わせるものも起草しています。
また(また)植木枝盛さんは、究極の理想は、国家の廃絶というとこまで考えていたことに自分は勇気づけられるわけであります。
こういう言葉が、通じないのは解っています。知識とかそういうものではなく、互いに通じないという根源的な所から始めるしかない。
通じないから考える。
簡単(!?)に通じるなら、逆に人間の価値なんかないとも思います。
その通じないという重さに拮抗出来るかどうか!?こそが人間の価値ではないかと思います。
憲法がなんだ、天皇がなんだ、国家がなんだ、そんな観念的なものではなく、この毎日が戦争のような平和な日常という息苦しさの中では・・・。

今日の自分の言葉も、石川啄木さんの言葉 「言葉とおこないを分ちがたき」の真逆のものにすぎない・・・。
そんな自分ですが、アナキズムの「国家の廃絶」という原理・思想(!?)だけは今日も夢想したい、信仰したいと思います。
それこそ大文字のアナキズムかもしれませんが、こういう夢想なく、なんのためのサークルAぞ!?
こんな言葉も、口だけにすぎない・・・。

それでは、また。
(gotcha1977)