2009年7月31日金曜日

カラオケ、「ノリ」、「オトシマエ」・・・(いつも以上の雑談・笑)

~これは雑談ではありません!!~
fufよりのお知らせです。

「8・4~週一上映会のお誘い」
http://fnfukuoka.jugem.jp/?eid=230
どうぞ宜しくお願いします!!!!!

******************(ここからgotcha1977の雑談です)*************
先日、パートナーと「カラオケ」なるものに行きました。
カラオケ、何年ぶりかと忘れるくらいです。
自分は、カラオケなるものが様々な理由で好きではありません!!
それなのに何で行ったか!?って、それは久しぶりにパートナーと呑んだ勢いです・・・(笑)
パートナーに「久しぶりに歌声を聞いてやってもいいよ!!」と上から目線で挑発されたからです。

普段は、いくら呑んでも勢いで行ったりはしません。
バイト先の方々などもそんな自分を解ってくれているので、無理に誘ったりしません。
「ノリ悪いな~」とかも言いません。
でもこの今の社会のあらゆる所で!!、この「ノリ」という物に<疑義>を挟むものなら、息苦しくさせられるでしょう。
いびつな!<和と差別>は至る所に。見えない<殺人>は至る所に。<ノリ悪いやつ>という暴力は至る所に。
ノリは恐い・・・・。
「何々人」を強く意識させようとするノリ。
「お前をもっといい商品にしろ」とさせるノリ。
気持ち悪い。疲れる。これが、これだけが、自分の<生>なのか!?
パンク同志が、「ミラダの強制排除とわれわれの憂鬱http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/blog-post.html」の記事で<居場所>と書いてましたが、自分は<生>と読みました。
ノリが悪いと言われる憂鬱を、<生の奪還>にしたい、共に!!
憂鬱をバネに頑張ろうとするただの生き物に成り下がる事が、それに気づかない事が、自分自身にとって一番の<恐怖>です。
アガンベンさんの言葉を借りれば、「生の形式への生成」を放棄するただの生き物に成り下がる事が恐い。

そもそも<根源的な暴力>を忘れ、その上にノリという暴力を加える。
また自分自身が、そのノリのバネになってる状況・・・・。
また以前、パンク同志が「自分が今いる場所の問題を避ける限りネットワーク オブ フレンズはない!!」という提起をしましたが、今、改めてその事も関連づけて考えてます。
結局、海外のパンクスの問題には敏感を装いながら、燃えるという言葉を吐きながら、自分がいる場所の問題はどうしたんだ!?と。闘争という事、連帯という事を誤魔化してるんではないか!?と。
闘争と何か!?連帯とは何か!?
今も(いつも)厳しく問われてる。
なぜなら、「非常事態、例外状態が、常態」だから。

**話戻り**
久しぶりに自分の歌声を聞いたパートナーの感想は、
「あんた、もう少しなんよね。低音はいいけど、高音になるとちょっとね・・・」と。バンド内のように<駄目出し>が続きました・・・。
TKさんに前々から言われてるように、ボイトレ、声帯の本でも買おうかな~と。
ダミ声禁止になりましたから(笑)
ちなみにA-cclaimからリリースされる2作品を創る過程で、TKさんには歌い方指導を多々されたんですが、言いたい事は解ったんですが、ご自身の歌はジャイアン並でした、ねぇ姐さん(笑)!?本人にもはっきり言いましたが、ブログにこんなん書いたら、怒られそうです・・・(笑)

また2作品を創る過程云々とよく書きますが、当たり前ですが、自分達だけで創った曲達とか思ってません。
同志を始め、あらゆる「仲間」と一緒に創った曲達と思ってます。
だからこそ「われわれの世界で、われわれの生を奪還しようとする仲間達に敬意を!!」と歌詞カードに掲載させて頂きました。
こういう想いにさせてくれたのもパンクの<しつこい叛乱>に学んだ事です。

そんな今日の音楽は、久しぶりにというか、今でもよく歌詞カードを読みながらじっくり聴くアメリカの「ポリティカル」ハードコアパンクAUS-ROTTENの1996年にリリースされた1stアルバムTHE SYSTEM WORKS FOR THEMです。

リリースされた当初は、毎日聴いてました。辞書片手に。
「アメリカ帝国主義本国人たるオノレ自身へのオトシマエ」とは何か!?を歌ってたりしますが、自分は彼等に多大な影響を受け続けてますが、なら「日帝本国人たるオノレ自身へオトシマエ」をまずは考えないとなぁ~、オノレよ!!

ちなみにこのアルバムを聴く前に、そう考えるようになったのはCONFLICTのアルバムと「ナガサキ」という地にある岡まさはる平和資料館との出会いが大きいかもしれません。
http://www.d3.dion.ne.jp/~okakinen/setumei.html
亡くなった大好きな祖父の体験も大きいものですが、この資料館からは「ナガサキ」「日本」という意味の重さを感じました。

THE SYSTEM WORKS FOR THEM
お前はシステムがうまく働いていることの生き証人、奴等の思うがままにシステムが動いてることを具現する
。」

2009年7月23日木曜日

夏の深夜の読書感想文。

前にも書きましたが(雑談ですが・・・)、改めて約束通り書きます(誰に!?)。被る言葉も多々あります。拙な過ぎる言葉の羅列ですが。また雑談文責は、gotcha1977です。
また以前、当ブログでも転載した「7・20排外主義によく表現行動」ですが、以下の記事をお読み下さい。
http://720action.blog85.fc2.com/blog-entry-12.html

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最近は、アナキズム誌で名前を見かけ、この方の引用文を読んで、前々から読んでみたいな~と思っていた高橋和巳さんの以下の本を中心に読んでます。

<知識>を増やすとかではなく、今!を「仲間」(可視、不可視を超えて)と共に生きたい!!と想うオノレ自身の在り方に何か鼓舞するものがあれば、発展的な自省があればという想いからです。
それこそ高橋和巳さんの言葉を借りれば、「行為のない思念はしばしば腐敗するが、思念のない実践もしばしば荒廃する」です。

本の中の数々の言葉・想いに、今の自分の在り方・他者との関係性を自省する感じになりました。
読んでいて、ただ単に状況に対する絶望感だけでなく、もっと深く<闇>を掘り下げてみたいという感覚になります。読んでいて晴々するような感覚ではなく、だからと言って燃えない訳でもなく、ただオノレの今の有り様に、状況に、根本に<直面>させられる感覚と言いますか、そんな感覚が自分を襲います。
また自分の想いの吐露が、他者への呼びかけが、ヘタすると強さを求める事になってはしないか!?と・・・。また何かの幻想(革命とか・・・)に強い力を求めているのではないか!?と・・・。
自省とは何か!?強さとは何か!?
アナキスト和田久太郎さんは言いました、「弱き者よ、その弱さに徹せよ!!」と。
この高橋和巳さんの本を読んだからではなく、色んな「仲間達」との会話の中から、行動を共にする中から、和田さんが吐いた言葉の意味が少し(だけ!?)解るような気がしてきました。
変に強くなろとするよりも(それこそ簡単に吐かれる気合という言葉も)、自分自身の「弱さ」に向き合う事が、その弱さを誤魔化し乗り越えようとするのではなくその事に徹底的に正直に(この正直さが難しいです、つくづく自分自身が思い知らされます)向き合う事が、それを少しでも他者に開示する事が、大切というか、高橋和巳さんの言葉を借りれば「強烈な思想」を創り出す事につながるのではないか!?と、それが<われわれの自治>への動きの思想ではないか!?と思ってます。
またパンク同志の言葉を借りれば、「しつこい叛乱」とはそういう事でもあるのではないか!?と。その事を少しでも実践し合う事が「パンクの力」ではないかと。またその事が「パンクは力」という事ではないかと。
別に「パンク最高!」と身内ノリで、趣味で言っている訳ではありません(笑)しかし!そう思われる方々には、自己正当化せずにしっかり応じるべきだと思います。

高橋和巳さんの言葉で「私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」とありますが、自分はあくまで「パンクスであるとは何か!?パンクスになるとは何か!?」と考えるものですから、若輩者がしたり顔で何を言ってんだ!?と思いの方々もいますでしょうが、自分は、文学を<パンク>に、文学者を<パンクス>に当てはめて読んでしまいます。
特に以下の二つの言葉は、<パンク>に当てはまるし、何度も噛み締めたいな~と。敏感にならざるをえない~と。

思想の自由、表現の自由、結社の自由。それがそもそもけしからんのだとは、今のところ誰も言わない。しかし、思想の自由も、表現の自由も、なにも暗い頭蓋の中だけであるのではなく、ひそかに日記や原稿紙にしるされる表現だけを意味するものではない。思想は内部思考とともに行為に外化される過程を当然含み、表現は個人的な言語表現のみならず、身体的表現や集団的表現をも含む。しかも思考の試行錯誤的行為化過程や表現の集団性は、しばしば眼高手低、一見矮小な、つまらないとみえる形態をとらざるをえない。しかし、個別的な場面でのそのつまらなさと、内部で統合されている際の理想性の中間、あるいはその振幅のなかにしか、思想や表現の進展はありえない。思想や表現の自由もありえない。」

他者の抑圧を見すごすことは、ただちに自己の自由の制限につらなることをやがて思い知るであろう。」

この本を読んだ後に、高橋和巳さんが書かれた「暗殺の哲学」という文章がどうしても読みたくなり借りました。
暗殺の政治学はあり、暗殺の美学はあっても、暗殺の哲学は、ほとんど考えられなかったのは、実際に行為者の内面においてばかりではない。」とあるように、
この文章は、<暴力とは何か>という事を追求し、答えなく、問い続けて、他人事としての暴力・権力・問題ではなく、どこまでそれを<オノレの問題>と出来るのか!?と自分は感じました。
結局、自分は深刻そうな顔をして実は目をそらし続けてるのではないか!?と。
でも少しでもそのオノレの弱さに向き合い。その弱さから逃げたくない。

また毎日、のほほん~と過ごしてる自分ですが、高橋和巳さんの言葉を借りれば、
人はふと自分が悲しいごまかしと曖昧化の中に生きていることを感じないだろうか。窮極まで考えをおし進めてゆくと、判断を停止せざるを得ない領域にさしかかってしまい、それを口にすることの恐ろしさゆえに、沈黙し、方向を転換する。」
という気持ちになるのも事実です。
「ただ過程に奮迅すべし」とは解ってるつもりですが・・・。
でもやっぱり「解体」すべきは、そういう解ってるつもりのオノレですね。
そして解体し解体され合う関係性を!!
そこにこそ<われわれの喜び>は生まれ、そこにこそ<言辞としては陳腐、実行としては新鮮なる共に>は生まれるのではないかと。
これは、もうすぐA-cclaimからリリースされる2作品を創る過程において、バンドメンバーやパンク同志に学んだ事です。別にメンバー、同志最高!と言いたい訳ではありませんので(笑)

***また最後に、これはGotchaとしての絶対的な信念ですが、「ヤツラにヒューマニズムなんか求めてません!!」***

そんな最近の音楽は、2つ!!
一つは、CHUMBAWAMBAですが、特にこの「revolution」収録の曲を。


それともう一つは、GODSPEED YOU!BLACK EMPERORのこのアルバムです。

簡単に資本主義から逃れられない、狂気の中にいることを忘れてる(忘れさせられてる)自分達、非人間の世界にいる自分達をインストですが、表現していて、ホントくるものがあります。
このアルバムコンセプトは、「不屈のちっぽけな光 vs 永遠に密集していく闇」です。
不屈のちっぽけな光さえ照らせない今、自分と「あなた」はいかに連結可能なんでしょうか???

2009年7月16日木曜日

「仲間」の言葉、行動が自分をえぐる・・・。

毎日、gotcha1977の投稿続きですが、何か眠れなくなり・・・。

出来れば、オノレよ、眠れなくなる日が、あぁ~と言う感情がなくならない日が、続きますように。
「仲間」の言葉、行動に敏感であれ!!オノレ自身が(で)、「闘い(=生きる)を共有物として生産しよう」と努めよ!!
また仲間Oさんの言葉を借りれば、「<われわれ>に日々加えられている暴力にこそ敏感になるべきだ」、オノレよ・・・。
その事をオノレ自身が憂鬱だと感じるなら、パンク同志の言葉を借りれば、「憂鬱を<抵抗>にしなければならない。」
でもオノレは、いつも「叛逆者<と>迷い子」。「~か~」と言う<OR>ではない。揺るぎないオノレというような言葉も、I don't careと言ってるような言葉も聞き飽きた・・・オノレ自身が。自分は、あくまでオノレのこの<と>と向き合いたい。

●「帝国主義本国人として死ね(http://autonome.blog7.fc2.com/blog-entry-122.html)」

●「龍山惨事」に抗議する!韓国大使館申し入れ行動(東京)<http://mediachampon.net/ja/node/153

2009年7月15日水曜日

PUNKS AGAINST G8

gotcha1977の投稿です。

ある作業をしながら、今日は(も!!か・笑)CONFLICTを聴いてます。
<~しながら>と言っても、片手間でその作業をしてる訳ではありませんので・・・って誰に向けて言ってるんだ~(笑)!?

今年のクソ会議の(あくまで!!)一つは、イタリアだったらしいですね。
という訳ではありませんが、ホントCONFLICTの「Carlo Giuliani(2001年ジェノバサミットで<ヤツラ>に殺された方の名前を曲にしてます)」は燃えると言うか、一体自分は何人の「仲間」達を見殺しにしてるんだと!?肉体的だけでなく・・・。
一見些細なことに見える死因の隠蔽が、実はこの社会の支配の構造の隠蔽にストレートにつらなっている(高橋和巳さんの<死者の視野にあるもの>より


[Make sure the more they kill,the stronger our will]

それともう一つは、ルクセンブルクのアナーコパンクpetrogradのこの曲、


***http://autonome.blog7.fc2.com/blog-entry-120.html***

2009年7月14日火曜日

読書(1)

この記事の文責は、gotcha1977です。最近、この本を少しづつ読み始めてます。「アナキズム誌(http://a.sanpal.co.jp/anarchism/」でよく名前を見たり引用文がよく掲載されてたので前々から読みたいな~と思ってたんです。



こう見えて、最近色々と「喜び」や「しつこい叛乱」や「繋がるとは何か」や「共に」とは何か!?を思考・試行で日々慌しく過ごしてます(笑)。「実行」としてもっともっと新鮮なものにしたいです、共に。それが自分が、バンドメンバーやパンク同志、仲間達から学んでることです。「きれいごと」ですかね!?
「きれいごと」が、バクーニンさんの言葉を借りれば、「破壊への情熱は、同時に、創造的な情熱である」に通じる事もあると思うんです。

**また前回の記事の「賛同」まだまだ募集してます!!どうぞ宜しくお願いします!!!!!**

それにしても簡単に言葉は吐けないな~と。「吐く」事に対する恐さが自分自身があります・・・。

問題は、表現するということが、対自・対他的にもつーある場合には行動することよりも重い責任性をもたらすその自覚いかんにある。責任の負えないようなことは始めから言うべきではなく、また一たび表現すればそれは必ず自己を運命化するものであることぐらいはわきまえているべきだ。そして、その運命化がたとえ、将来に愚狂に近い行為を結果しようとも、責任を負うなら、その<狂>はむしろ<仁>に近いものとなるだろう。(高橋和巳さん・わが解体より)」

また高橋和巳さんは、「私を支えるのは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」と書かれてますが、
若輩者の自分は、文学を「パンク」に当てはめて読んでおります!!
以下の言葉とか自分がパンク同志や仲間達と思う「パンク」にも当てはまると思います、
文学者が本来もつ、いかなる権威によっても自己正当化せず、いかなる批判をも避けない文学精神を分有しているはずだから。」

罵倒ではなく「批判」を!!
また落ち着いたら、自分の拙いながらもこの本から考えさせられた自分の想いをちゃんと書きたいと思いますが、今日はこの辺りで!!

またパンク同志のこの記事「ミラダの強制排除と<われわれ>の憂鬱」には、ホント熱くなりました。是非、「パンク」以外の方々もご一読下さい。「パンク」は、<しつこい叛乱>のために共に!!を実行したいと思ってますので!!!!! http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/blog-post.html

「自分自身のオトシマエのため あんたのバネになりたくない(Gotcha・拒否と脱却より)(笑)

ちなみにSin Dios(メンバーの中にCNT組合員もいるらしいですが。バンド自体は、現在残念ながら解散。でもパンクは継続中だと思います!!)のスペイン!!「1936」という曲はいつ聴いても燃えます、というか何とも言えない感情になります。
1936年、民衆はハリケーンのように立ち上がる。恐れることなく資本主義に立ち向かって歩む。自分の夢のような強い理想を手に入れる。リバータリアン共産主義、社会革命。」

国家と国旗は俺たちにとって糞も同様であり、俺たちが認める唯一の人間的条件とは地球規模の抵抗で搾取されている人々のものだ、ということを世界に示すときなのだ。
これが俺たちが今日ここにいる理由である。パンクは社会戦争のもう一つの戦線だということ、そして、俺たちの前線で、俺たちはアナキスト叛乱のサウンドトラックに寄付していることを思い出せ、要求するために
。(Sin DIOSの言葉より)」

2009年7月9日木曜日

【お知らせ】7・20排外主義によく効く表現行動「福岡」!!

どうぞ宜しくお願いします!!
ホントは、色々と書きたい事もありますが、時間ないので今日は「お知らせ」だけです(笑)別に浸ってる訳ではなく、Sin Dios!!の曲達がきます・・・。ただ自分は自分なりの「オノレ自身へのオトシマエ」がしたいだけ、そのオトシマエが他者と繋がる事を信じてるだけ。高橋和巳さんの言葉を借りれば、「問題は他者ではない。私自身である。」が頭から離れません。またパンク仲間達の関連記事を二つ。http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/this-weeks-recommendation-from-acclaim.html!!
http://autonome.blog7.fc2.com/blog-entry-108.html!!
ホントに下記の「声明文」だけでも、是非ご一読下さい!!!!!!!!!!



きたる7月20日に「在日特権を許さない市民の会」と称する差別・排外主義団体が福岡で「外国人参政権反対」のデモをするとの情報を得て、かれらによって醜悪な言動が福岡でもまきちらされることを憂慮した有志により、対抗行動のための組織として「排外主義によく効く表現行動実行委員会」が組織されました。

実行委は下記の通り声明を発表し、在特会の集会とデモ、およびそれに象徴される日本社会にはびこる差別と排外主義に抵抗し、そして「共に自由に生きる」社会へ向かう私たちの意志を示すための表現行動を行います。思いを同じくする大勢のみなさんの声明への賛同と行動への参加をお願いします。


※賛同していただける方は、下記情報を実行委まで下記メールにてお知らせください。
yokukiku720(a)gmail.com  ※(a)をアットマークに変換してください。

http://720action.blog85.fc2.com/


【声明文】
私たちは共に自由に生きる!
差別、分断、排除をやめろ!


2009年4月11日、埼玉県蕨 (わらび) 市で、不法滞在を理由として両親が強制送還され、日本政府により家族と別れて暮らすことを強いられた女子中学生の自宅・学校周辺に押しかけたうえで、「犯罪を侵した外国人は家族もろとも日本から出ていけ」などと主張する卑劣なデモがありました。このデモを主催したのは「在日特権を許さない市民の会 (在特会)」であり、この団体は、外国人を共生すべき他者としてではなく「潜在的な犯罪者」とみなして差別し、「ヨーロッパ人やアメリカ人は受け入れられるが、朝鮮人や中国人はどこにでもいて、他の人種よりも百倍も犯罪をひき起こしているからダメだ」「韓国人は対馬にムクゲの花を植えて対馬を乗っ取ろうとしている」「行政と結託した極左暴力集団が我々の国民運動をつぶしにきている」というような、強迫観念にとりつかれたとしか思えない発言を繰り返しています。在特会は現在、そのような強迫観念にかられるように外国人参政権に反対するデモを全国各地で行っており、7月20日には福岡でもデモ行進を企画しています。

私たちを含め多くの人が、格差や貧困がひろがるこの社会のなかで、さまざまな不安を抱えて生きることを強いられています。在特会に集う人々は、そのような不安を取り除くため、想像の中で純粋無垢な「日本」を描き、そこに精神的な拠り所を見出し、その拠り所を「外敵から守る」という妄想にかられた言動を繰り返しているのでしょう。インターネット上で「ガイジンとサヨク」を馬鹿にする動画を公開して悦に入っている在特会…底無しに哀れです。

しかし、かれらがいかに哀れな連中であるにしても、在特会のような動きは、現在の日本において人々の生や労働が不安定化し、分断と格差が生じる現実を覆い隠すために「日本人」という人種的なまとまりや「国民としてのプライド」をでっちあげてゆく政治に連なるものであり、見過ごすことはできません。在特会のような排外主義は、好景気の時には外国人労働者をさんざんこき使い、不要になった分だけ潜在的犯罪者として排除するようにして、次々と改悪されている日本の入国管理政策とも連動しています。また私たちは、社会が流動化・不安定化する中で不安心理にかられた日本人が事実無根の疑いを「外国人」にかけてリンチ・虐殺にまで至ってしまった余りにも悲痛な歴史を知っているはずです (関東大震災時など)。在特会の吐く数々の醜い言葉には、紛れもなく虐殺の予感が潜んでいると言わねばならないし、「同じ土俵に乗るな」と言って放置していれば済むものだとは思えません。たしかに私たちは、在特会に集う人々の妄想などとは何の関係もない、多様な生をつなぎ、他者と共生する文化・社会の創造をこそ目指していますが、あのような排外主義者たちの醜悪な発言が公共空間で垂れ流されることを黙認することはできません。

私たちはみな、この資本主義社会の中で他者と分断され、競争することを迫られ、力を持つ国家や金を持つ企業によって翻弄される不安定な貧民であり、労働者です。私たちはそのような力や流れに抵抗するためにも、分断線を乗り越えて他者と繋がり、共に自由に生きてゆくことを目指します。私たちは排外主義に対する反対の意志を表明し、多様な生をつなぎ、有象無象の他者とともに新しい文化・社会を作ることを目指す表現行動を行います。7月20日の行動への多くの方の参加と賛同を呼びかけます。

2009年7月7日 排外主義によく効く表現行動実行委員会 (福岡)

2009年7月5日日曜日

【転載】集会のお知らせ。


案内 7/18(土)カワイ闘争報告会+交流会
全国の多くの方々からカワイ闘争への賛同・支援を頂き、たいへん心強く感じています。

講師をいいようにこき使い、声を上げればすぐに切り捨てる
河合楽器製作所とカワイ音楽教室に対して、
私たちは、不安定貧民の結集を呼びかけ、
「不安定貧民をなめるな!」と声を上げ、
何年でも徹底的にカワイと闘い続けます。

そこで、7月18日(土)新事務所において、不安定貧民のつながり作りの意味を込めて、
闘争を支援してくださる人たち、カワイ音楽教室にかかわらず不安定就労で苦しむ人たち、その他多くの不安定貧民に向け、下記の内容でカワイ闘争報告会と交流会を開きます。

詳細は、電話やメールで問い合わせてください。
みなさん、是非、来てください、それぞれの思いを寄せ合いましょう。
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カワイ闘争報告会 + 交流会
7月18日(土)18:30~

1.カワイ闘争経過報告
2.元カワイ講師Qさんが語るカワイ音楽教室の実態
3.カワイと講師が交わす委任契約の違法性を暴く
報告終了後、交流会を開きます。

会場:福岡市中央区大名1丁目3番42号ローズマンション304
主催 : フリーターユニオン福岡
TEL : 090-9980-2106

2009年7月2日木曜日

下記の記事に触発されて・・・パート2。

今日の投稿もgotcha1977です。
「またお前か!?」とか思わないで下さい(笑)


フランスのCria Cuervosのインタビューを読んで、多々触発されるとこがありました。多々考えさせられる事がありました。
http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/06/cria-cuervos-interview.html
今までこういう「声」を真剣に自分は聴こうとしてきたのか!?と、「オノレ自身へのオトシマエ」とは何か!?と・・・
自分だけが気持ちよくなる「生き方」 (正しい!生き方という意味ではなく。大体、正しい生き方というものがありますか!?あるとしても疲れそう・・・。それに正しい生き方、<ヤツラ>が使う言葉ですね) をしてきたんではないか!?と・・・。

*「気持ちよくなる事」はいい事だと思います(笑)、誤解なきように。
*ただ「気持ちよくなるやり方・繋がり方」に敏感にならないとなぁ~思ってます。うまく言えないんですが。

自分達は、世界中のパンクスやサパティスタ民族解放軍や多くの方々が言うように、「自分達を見えなくさせてる者(物)達に対して、自分達自身であらわれようとし、自分達自身で語り、自分達自身で繋がろう」。と言った闘い(われわれになるという)をしてると思うんですが、という言葉を吐きながら、その内部は!? 自分自身で見えなくさせてるものがあるのではないだろうか!? 自分自身で偽らせてるものがあるのではないだろうか!?
大きい問題、小さい問題と言った区別を、排除を、勝手にしてはないだろうか!?
と言ったことをこのインタビューから突きつけられました。

自分は、他者とどういう関係性を結びたいのか!?
その関係性から、どのような「力」が創造されるのか!?
とかを思ってます。

このブログに投稿した前回の記事(!?・雑談か~・笑)に関して言えば、このCria Cuervosは、フランスのアナーコパンクレーベルMALOKAからリリースされたABC Dijion(アナキストブラッククロス・ディジョン)へのベネフィットコンプにも参加してます。
http://malokadistro.com/production.php?id=150&an=2001
このレーベルは、RICHARD DURN/ROSAPARKのスプリットレコードなどもリリースしてます。
またこのレーベルには、1989年からの活動やその姿勢に影響を受けたパンクスも多いでしょう。

またもう一つ、最近読んで触発されてるのは、上記のような事を改めて思わせてくれた、
「<北方領土の日>反対!<アイヌ新法>実現!」全国実行委員会(ピリカ全国実)が、発行してる以下の2009年夏号です。

http://www.geocities.jp/pirika_kanto/

北大文学部は、誠実にチャランケ(話し合い)をしろ!!!!!