2009年7月23日木曜日

夏の深夜の読書感想文。

前にも書きましたが(雑談ですが・・・)、改めて約束通り書きます(誰に!?)。被る言葉も多々あります。拙な過ぎる言葉の羅列ですが。また雑談文責は、gotcha1977です。
また以前、当ブログでも転載した「7・20排外主義によく表現行動」ですが、以下の記事をお読み下さい。
http://720action.blog85.fc2.com/blog-entry-12.html

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最近は、アナキズム誌で名前を見かけ、この方の引用文を読んで、前々から読んでみたいな~と思っていた高橋和巳さんの以下の本を中心に読んでます。

<知識>を増やすとかではなく、今!を「仲間」(可視、不可視を超えて)と共に生きたい!!と想うオノレ自身の在り方に何か鼓舞するものがあれば、発展的な自省があればという想いからです。
それこそ高橋和巳さんの言葉を借りれば、「行為のない思念はしばしば腐敗するが、思念のない実践もしばしば荒廃する」です。

本の中の数々の言葉・想いに、今の自分の在り方・他者との関係性を自省する感じになりました。
読んでいて、ただ単に状況に対する絶望感だけでなく、もっと深く<闇>を掘り下げてみたいという感覚になります。読んでいて晴々するような感覚ではなく、だからと言って燃えない訳でもなく、ただオノレの今の有り様に、状況に、根本に<直面>させられる感覚と言いますか、そんな感覚が自分を襲います。
また自分の想いの吐露が、他者への呼びかけが、ヘタすると強さを求める事になってはしないか!?と・・・。また何かの幻想(革命とか・・・)に強い力を求めているのではないか!?と・・・。
自省とは何か!?強さとは何か!?
アナキスト和田久太郎さんは言いました、「弱き者よ、その弱さに徹せよ!!」と。
この高橋和巳さんの本を読んだからではなく、色んな「仲間達」との会話の中から、行動を共にする中から、和田さんが吐いた言葉の意味が少し(だけ!?)解るような気がしてきました。
変に強くなろとするよりも(それこそ簡単に吐かれる気合という言葉も)、自分自身の「弱さ」に向き合う事が、その弱さを誤魔化し乗り越えようとするのではなくその事に徹底的に正直に(この正直さが難しいです、つくづく自分自身が思い知らされます)向き合う事が、それを少しでも他者に開示する事が、大切というか、高橋和巳さんの言葉を借りれば「強烈な思想」を創り出す事につながるのではないか!?と、それが<われわれの自治>への動きの思想ではないか!?と思ってます。
またパンク同志の言葉を借りれば、「しつこい叛乱」とはそういう事でもあるのではないか!?と。その事を少しでも実践し合う事が「パンクの力」ではないかと。またその事が「パンクは力」という事ではないかと。
別に「パンク最高!」と身内ノリで、趣味で言っている訳ではありません(笑)しかし!そう思われる方々には、自己正当化せずにしっかり応じるべきだと思います。

高橋和巳さんの言葉で「私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」とありますが、自分はあくまで「パンクスであるとは何か!?パンクスになるとは何か!?」と考えるものですから、若輩者がしたり顔で何を言ってんだ!?と思いの方々もいますでしょうが、自分は、文学を<パンク>に、文学者を<パンクス>に当てはめて読んでしまいます。
特に以下の二つの言葉は、<パンク>に当てはまるし、何度も噛み締めたいな~と。敏感にならざるをえない~と。

思想の自由、表現の自由、結社の自由。それがそもそもけしからんのだとは、今のところ誰も言わない。しかし、思想の自由も、表現の自由も、なにも暗い頭蓋の中だけであるのではなく、ひそかに日記や原稿紙にしるされる表現だけを意味するものではない。思想は内部思考とともに行為に外化される過程を当然含み、表現は個人的な言語表現のみならず、身体的表現や集団的表現をも含む。しかも思考の試行錯誤的行為化過程や表現の集団性は、しばしば眼高手低、一見矮小な、つまらないとみえる形態をとらざるをえない。しかし、個別的な場面でのそのつまらなさと、内部で統合されている際の理想性の中間、あるいはその振幅のなかにしか、思想や表現の進展はありえない。思想や表現の自由もありえない。」

他者の抑圧を見すごすことは、ただちに自己の自由の制限につらなることをやがて思い知るであろう。」

この本を読んだ後に、高橋和巳さんが書かれた「暗殺の哲学」という文章がどうしても読みたくなり借りました。
暗殺の政治学はあり、暗殺の美学はあっても、暗殺の哲学は、ほとんど考えられなかったのは、実際に行為者の内面においてばかりではない。」とあるように、
この文章は、<暴力とは何か>という事を追求し、答えなく、問い続けて、他人事としての暴力・権力・問題ではなく、どこまでそれを<オノレの問題>と出来るのか!?と自分は感じました。
結局、自分は深刻そうな顔をして実は目をそらし続けてるのではないか!?と。
でも少しでもそのオノレの弱さに向き合い。その弱さから逃げたくない。

また毎日、のほほん~と過ごしてる自分ですが、高橋和巳さんの言葉を借りれば、
人はふと自分が悲しいごまかしと曖昧化の中に生きていることを感じないだろうか。窮極まで考えをおし進めてゆくと、判断を停止せざるを得ない領域にさしかかってしまい、それを口にすることの恐ろしさゆえに、沈黙し、方向を転換する。」
という気持ちになるのも事実です。
「ただ過程に奮迅すべし」とは解ってるつもりですが・・・。
でもやっぱり「解体」すべきは、そういう解ってるつもりのオノレですね。
そして解体し解体され合う関係性を!!
そこにこそ<われわれの喜び>は生まれ、そこにこそ<言辞としては陳腐、実行としては新鮮なる共に>は生まれるのではないかと。
これは、もうすぐA-cclaimからリリースされる2作品を創る過程において、バンドメンバーやパンク同志に学んだ事です。別にメンバー、同志最高!と言いたい訳ではありませんので(笑)

***また最後に、これはGotchaとしての絶対的な信念ですが、「ヤツラにヒューマニズムなんか求めてません!!」***

そんな最近の音楽は、2つ!!
一つは、CHUMBAWAMBAですが、特にこの「revolution」収録の曲を。


それともう一つは、GODSPEED YOU!BLACK EMPERORのこのアルバムです。

簡単に資本主義から逃れられない、狂気の中にいることを忘れてる(忘れさせられてる)自分達、非人間の世界にいる自分達をインストですが、表現していて、ホントくるものがあります。
このアルバムコンセプトは、「不屈のちっぽけな光 vs 永遠に密集していく闇」です。
不屈のちっぽけな光さえ照らせない今、自分と「あなた」はいかに連結可能なんでしょうか???

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