2013年4月24日水曜日

今日も無題。

近くで家を造っている方々がいる。
その家を造っている何かの音、鼓動。
その音、鼓動は、自分の鼓動とあまりにもかけ離れていると思う。うまく言えないその重さに。
窓から見えるのに・・・。
それは、例えば「友人・彼・彼女」と呼んだり呼ばれたりするものと同じかもしれない。
それは、先日久しぶりに会ったRちゃんの何気ない言葉にも感じます。
そんな事をうまく言えないんですが、漠然と思ったりします。
と言うかずうっと思っていたい。そういう自分の中の漠然としたそういう思いが無くなるのが恐い。

先日の投稿で、吉本隆明さんの「大衆のナショナリズムの核」という言葉を掲載しましたが、その言葉には、上記に書いた漠然とした思いに対して、ゆれるように生活し、死ぬという大衆の一人として勇気づけられます。

生涯のうちに、じぶんの職場と家をつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の<ナショナリズム>の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに値する。ここに<自立>主義の基盤がある。(日本のナショナリズム)
より」

最近は、パンクスの友人のお薦めのRHYMESTERの「ダーティーサイエンス」と「POP LIFE」というアルバムをずうっと繰り返し聴いてます。
薦めてくれた彼は、最近、CONTORTUREというバンドの「WHO'S IN CHARGE」!!!!!というタイトルをつけたアルバムを共同でリリースしています。
彼が、なぜこのアルバムをリリースするようになったのか!?という想いを自分なりに考えながら、じっくり聴きたいと思います。
http://acclaimcollective.blogspot.jp/2013/04/acclaim-new-releases-contorture-whos-in_5.html

ライムスターを聴いての感想。
よく「こんな時代だから」とか「危機」とか言われたりするけど、それはいつもなんじゃないかな~と思います。
たまに聞く「ピンチをチャンスに!!」とか好きではないと言うか、それは誰にとってピンチなのか!?量の問題なのか!?そういう「計量的発想(辺見庸さんの言葉)」こそが、無責任ではないのか!?と思います。
高度成長期の時にだって、<われわれ>にとってピンチはそこらじゅうにあったと思います。
見ない死というものが。それは、今も。

例外状態が常態」と言ったのは、カール・シュミットさんでしたっけ!?

だからこそライムスターの以下の歌詞は、きました。
どきなリアリスト 失せろニヒリスト リリシストのお通りだ
この世界はコトバを欲してる 誰かの言う通りだ(ゆめのしま)」

要らねぇ安い共感 だけどハマリたくもねぇ無常感(スクリーム)」

誰かの尻馬乗っかってばっか キミも誰かを裁くか?(The Choise is yours)」

またPOP LIFEというアルバムに対するインタビューの彼らの言葉を読むと、以下の事を思わされます。
よく「リアル」とか「レベル」という言葉が使われているけど、何かをやっているからリアルとかレベルとかに違和感が凄くあります。
リアルとかレベルとかどこにでもある。
もっと見なければ、見尽くして見尽くして、それに自分なりに応答しろ!!と彼らの歌詞を読むと思わされます。

吉本隆明さんの言葉に以下のようなものがあります、
愚劣な<前衛>的コミュニケーションをやめるがよい。もしも、わたしたちが選ばねばならなかったものがあったとしたら、まず先験的に日本資本主義社会そのものであった。つぎに何をえらんだのだ?たくさんの現実的事件と、自分の遊戯や勉学や貧困や生活であった。そうして、つぎに何を選んだのだ?いっこうに変りばえもしないこの現実であった。(前衛的コミュニケーションについて)」

人は他者によって作られた自分に責任を負わなければならない。それが虚像であるばあいも真実の所在する場所だからだ。そしてこのばあい虚像であるかないかはどうでもいいことで、真実の所在する場所ということが重要なのだ。(世界認識の方法のあとがき)」

それにしてもライムスターのダーティーサイエンスを購入してから、特に「It's A New Day」と「The Choise is yours」は、歌詞を読みながら繰り返し繰り返し聴いています。
「The Choise~」を聴いていると、橋川文三が言った意味での「歴史意識・歴史責任」という言葉が重なります。
またアナキズム誌10号で、川田功さんが書かれた「映画<ボスニア>の彼方へ」という文章を読み返したくなります。

「われわれ」を萎ませている無責任な自分だけど、<ヤツラ>の言葉を聞くと悔しくてたまらなくなる。アナキスト和田久太郎さんが言った「身を益なきものと思いなす」と正直思ったりもする。ビビりだけど・・・。
ビビりだから、和田さんが言った「弱き者よ、その弱さに徹せよ」がきます。

それでは、また。
(gotcha1977)
















2013年4月3日水曜日

無題。

ブログしているのを忘れてました・・・。
チェックしている方もいないだろうけど・・・。
みなさん、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか!?

最近は、まぁ体調の方も良く過ごせています。
自分がやりたい音楽、言葉とは何か!?という事だけを考えています。
それは、「無責任」な事なんだろうか!?どうなんだろうか!?とも思います。

家にいる時は、ますます本ばっかりを読んでいます。
図書館とか本屋さんに行くと、時間ともっと早い読解力があれば、日本の近代文学や近代思想の本を全部読みたいと思ってしまいます。

最近、初めて読んだり、読み返したりした本は、以下のものです。
読んでいると、安心したり確認したりするのではなく、落ち着かなくさせられたり、撃ち抜かれたりします。
彼女に、「そんな本を読んでどうしたいんね!?」みたいな事を言われたけど、この日本的な共同幻想の元において、言葉を吐く!?とはどういう事なのか、吉本隆明さんの言葉を借りれば、「大衆ナショナリズムの核」に対して、どんな言葉が拮抗出来るのか!?を考えるために必要だと思います。

・橋川文三さん  「歴史と体験~近代日本精神史覚書」
           
 
            「近代日本政治思想の諸相」
            「ナショナリズム~その神話と論理」
            「昭和維新試論」
            「歴史と精神」

・三島由紀夫さん 「文化防衛論」
(三島さんでよく思い出す文は、吉本隆明さんの以下のものです。
  「三島由紀夫の<天皇陛下万歳>は、これを嗤うこともできるし、時代錯誤として退けることもできる。また、おれは立場を異にするということもできる。しかし、残念なことに、天皇制の不可解な存在の仕方を<無化>し、こういうものに価値の源泉をおくことが、どんなに愚かしいことかを、充分に説得しうるだけの確定的な根拠を、だれも解明しつくしてはいない。したがって三島の政治行為としての<死>を、完全に<無化>することはいまのところ不可能である。根深い骨の折れる無形のたたかいは、これからほんとうに本格的にはじまる。(情況への発言・1971年2月)」

・宮嶋繁明さん 「三島由紀夫と橋川文三」
どうも後年の橋川は、丸山が指摘したような<政治的決断>はどうでもいいと、考えていたふしがある。大切なのは、思想的決断を促す勇気だと。」(三島由紀夫に見る橋川文三の影響より)

・丸山真男さん 「日本の思想」

・神島二郎さん 「近代日本の精神構造」
日本人古来の念願(子孫の追慕、家名の保持、供養の永続、死後の共生など)をほかならぬその時代性においてあやまたず把捉し、これを踏まえて未成熟な国民意識のなかから国家防衛の意志を造出したものこそ、じつに靖国神社の政策にほかなぬと私は考える。」(神仏対抗と「家」意識より)

・加藤周一さん 「日本人とは何か」

・色川大吉さん 「明治の文化」
天皇制は日本の「風土」に融け合った。そのために民衆には、ほとんどの場合、それは、共同体的なものとして観念されて、決して支配システムとは考えられなかった。竹内好氏の言われるように、それは「相対するものではなく、包まれてあるもの」になった。(精神構造としての天皇制。より)
この文には、天皇制とは何か!?とか靖国神社とは何か!?とかがあるような気がします。
単純化するなよ!!と言われている気がします。またアナキスト石川三四郎さんの天皇制に対する考え方とかも考えさせられます。そして北一輝さんの日本のあり方に対する考え方とかも。

でもその一方で、この文には以下の言葉があり、考えさせられます。谷川雁さんが言った「深淵」という言葉を。
民衆の側からいえば、かなりの深みまで<国体>の擬制を受けいれながら、最後の一点で天皇制に魂を渡さなかった。いちばんの深部で、天皇制は日本人の心をとらえ切れていない、<国体>は真の意味で、民衆の精神的機軸にならなかった、そう私は考える。」

・石川啄木さん 「時代閉塞の現状 食うべき詩 他」

・久保隆さん 「吉本隆明ノート」
たぶん、<共同幻想論>は様々に読むことを可能にしている書であるといえる。にもかかわらず、そこから引きだしうることは、やはり遠い闇の彼方の切開と開示という深刻な問題をいやおうなくわたしたちにつきつけているといえよう。」(共同幻想論の世界。より)

・アナキズム5号 「ナショナリズム」

読んでいると、「人間」の自由とか可能性とか存在って何だろうか!?みたいな事を足りない頭で考えてしまいます。
また「信じる」という言葉とか溢れているけど、それはどういう事なのか!?
ホントは、何も信じていなかったりするくせに、ふりをするとか。

自分は、何を信じる!?解らない・・・・んだけど、こういう事は思ったりします、
希望はない。絶望はない。ただあるのは、信じることだけ。
試すことを。交わすことを。繰り返すことを。響き合うことを。

こういう言葉も、なんだかなぁ~と今、書きながら思いました・・・。
こんな言葉しか出ないのか!?とか思います。
これでは誰にも応答できない。

それでは、また。
(gotcha1977)