2012年11月24日土曜日

バンド等の近況。

今日、お会いした事のない方からパソコンの方にメールがありました。
「GOTCHAは、解散していますか!?」と・・・。
そう思われても仕方がないような状況でしたが。

自分の体調も良くなってきたので、色んな準備(勿論、生も含めてです)を始めたとこです。
Rちゃんのアドバイスを元に、ミキサー・シンセ等をついに購入しまして、今までの曲を打ち込み直していこう(いきます)と思っています。

と言うか、言いぱなっしで終われないし、先日TKさんにも話したけど、自分にはこれしかないんです。
まぁ一時は、DAWソフトのCUBASE君に慣れないといけないんですが・・・。
表現したい言葉、曲がいっぱいあるから、慣れるしかないですね。

今までの曲という事で、10年以上前にリリースした1stデモテープを何年ぶりかにに聞き直しています。
「there is no exception」・「really!? the end!?」という曲は、打ち込み直してしたいな~とTKさんと話しています。

この2つの曲の歌詞は、長崎にいた高校生の時に、一人でCONFLICTとCRASSを聞き、集会とかに参加した頃の時に書いていた詩が元であって、福岡に行って「パンクバンド」をした時は歌いたいな~と思っていたものです。

there is ~は、端的に言って「例外なく、あらゆる国家はクソ」で、really!?~は、長崎・原爆・平和は、<思考停止>しているんではないか!?という想いからです。
今でも8月9日の日には、子供の時から聞いた話で、ある意味ヒステリックな感情になるんですが、その日まで、この日本的な共同幻想の元で、じいちゃん達民衆は、どういう風な<生活>をしていたんだろうな思います。
そして今も常に<死>を産んでしまうものは自分の中から無くなってはいない。

それにしても最近、CONFLICTやCRASSなど<アナーコ>というものやらにとんと触れていない。
闘争とか無政府とか遠い・・・遠い・・・重い言葉であります。

最近、緊張させられた「パンクバンド」は、<在日ブラジル人>のDISKRIMINADOSです。
「日帝本国人」の自分にとって、CRASSの歌詞よりも強烈な問いであります。
この強烈な問いを「哀しみ」とか言う言葉((これほど思考停止を表す言葉はないと思います)や実態で誤魔化してる限り、日帝本国人である証拠であります。
http://acclaimcollective.blogspot.jp/2012/10/diskriminados-presents-sin-fronteiras.html

この問いは、日本人に<同化>というものでない<思想=政治性=共同性>というものを産む事ができるのか!?というものであると思います。
今でも、帰化した方を讃える言説は後を絶たない・・・。

それでは、また。
(gotcha1977)










2012年10月19日金曜日

色んな「言葉」の紹介。

私たちは伝統的に作られそして創ったところの民衆の体質を、支配権力によって彼らの原理貫徹のために使わせることを拒否しなければならない。支配権力とは観念ではなくて、私たちの体質を媒体として現象するところの社会的な諸機構である。この重層した現象形態をあらゆる機構に発見することが重要だ。それは学生ごのみに言うなら自己否定、労働者ごのみにいうならば自己肯定の形而上下における深化である。それは私たちの自律性が私たちの他律性をうちやぶる道であり、また、私たちの組織づくりが日本式国家ふうな内部構造をとらぬ道の発見である。」
(森崎和江さん・民衆的連帯の思想)

<自立>と<日本的な共同幻想>。そして<われわれとは何か>という事だけを足りない頭で自分なりに考えています。
少なくとも何かを表現しようとしている者の端くれとして、どれだけ自分なりに「責任ある主体」(辺見庸さんの言葉)として「言語的挑戦」(辺見庸さんの言葉)が出来るのか!?
この日本的な共同幻想の元で、自分の中にある切迫感が狂おしくそれを求めている。

<私>という単独者を責任ある主体にする契機・・・」
(辺見庸さん・瓦礫の中から言葉を)は、どこにでもあり、一人一人の中に異質な切迫感があり、一人一人の中に異質な最前線があり、一人一人の中に異質な日常生活がある。
それが、どう溶けだしドロドロと絡み合い(自明ではない)普遍化と言うものが生まれるのか!?

今日のタイトルにいきます。
上記のような事を考えるうえで、自分への問いとして、念頭にある色んな言葉を以下に。

「日本の民衆は日本の支配権力の歴史と無縁にその伝統を保っているのではない。したがって支配権力を打ち倒せば、その権力に内存していたもろもろの悪は、プチブル的な民族性を最後に消滅するといったものではありえない。階級的矛盾の根源は、各民族固有の支配被支配の相関関係に内存している。資本主義的な階級の矛盾が一応の解決をみたとしても、民衆の集団的意識の傾向を規制した固有の歴史は、それ自身のなかから階級的矛盾を固有に再生産する。その再生産の固有性が他民族間での主要な問題となるのである。」                  (森崎和江さん・媒介者の思想)

日本社会の二重性は、民衆に条件つきの自治性と支配権力への随順とをしみこませている・・・」
(森崎和江さん・民衆意識における朝鮮人と日本人)

忘却的な無思想性と無自覚な伝承性によって支えられる集団的機能・・・」
(森崎和江さん・民族的固有性とは何か)

現在かんがえられる共同幻想の高度な水準は依然として国家というものにあります。」
(吉本隆明さん、国家・家・大衆・知識人)

あらゆる国家は、その成員にふさわしい国家本質としてしか現象しない。」
(吉本隆明さん・情況とはなにか)

真に<他界>が消滅するためには、共同幻想の呪力が自己幻想と対幻想の内部で心的に追放されなければならない。」
(吉本隆明さん・共同幻想論)

民衆の意識の底部に反動思想のもっとも高く、もっとも鋭い反映であるとともに、同時にそこから未来を目指す胎児がどのような生理機能でも名づけることのできない初発の運動を営んでいる地点があるはずだ。」
(谷川雁さん・幻影の革命政府について)

上記のような言葉とともに以下のような本や文を最近読んで、全然すっきりせずにますます訳が分からなくなるんですが、避けられない。なぜなら今まで自分は、あまりにも単純化しすぎていた・・・と痛感しています。
燃えるものではなく、解らないものに身を沈めていたい。
すぐに何かを誤魔化し、何かで誤魔化されるサイクルの中。
核心的な何かを掴めず、こぼれ落ちているたくさんの何かがある。
ただ一つ強く思っている事は、閉じられていくものを何としても開かなければという変わらぬ想いだけです。
<にんげん>は、国家や国家的なものをどうしても求めてしまうものなんでしょうか!?


・橋川文三さん 「日本浪曼派批判序説」
・後藤総一郎さん 「天皇制国家の形成と民衆」
・新川明さん 「非国民の思想と論理ー沖縄における思想の自立についてー」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/wo-arakawa.htm

・川満信一さん 「沖縄における天皇制思想」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/wo-kawamitsu.htm

・谷川雁さん 「日本の二重構造」
・吉本隆明さん、赤坂憲雄さん 「天皇制の基層」

また、Oさんが自身のブログで書かれていた以下のような言葉は、強く痛感させられました。

私たちと他者の、それぞれの存在の「意味の落差」を覆い隠してしまうような言葉の一致、さらには、その言葉の一致の裏に、私たちに理解できる範囲の動機や理由から言葉や行為へと至る直通経路ばかりを求める態度が溢れている。そしてしばしば「政治的な映画」がそういう安直な欲求に答えてもいる。」

自分にとって、映画を<音楽>に置き換えると、まさに自分の事だと思いました。
それこそが、国家的な言葉、国家的な思考、国家的な行為、国家的な関係性を常に産んでしまう体質が自分の中にあるということであります。
そしてそういうものが、自分の言葉や思考そのものを貧しくしているんだと思います。
それは果たして自分の日本人性からくるものなんだろうか!?どうなんだろうか!?
でもはっきりしているのは、自分の中における<共同性>のイメージが自由ではないという事か!?
また谷川さんが言うような「地点」、力のありようを見ることをせずに、すぐに<あっちとこっち>を線引きする。これこそが自分自身の愚劣というものではないのか!?

そんな事を考えていますが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
自分は、皮膚の状態がまた良くなく体調を崩していた時期があり、医者から「また逆戻りしているから、完治するまで気を抜かないように」とか言われたり、自分の身体を見ると不安になったり、落ち込んだりしたんですが、今月に入ってから皮膚の状態が今まで一番良くなってきて、段階を踏んで完治に向かっているようです。
今週は、TKさんとRちゃんちに行き、新しい機材についての相談をする予定です。
機材の相談だけでなく、久しぶりに会えるのが楽しみです。
そういう事が出来る体調に自分もなってきたし、TKさんも退院したので、また少しずつ動き出したいですね。

そう言えば、先日、長崎に帰省(とは!?)して、長崎くんちを久しぶりに見ました。
神社から神輿が、お旅所と言う所に行く行列を見ている時に、周りの人々が手を合わせお辞儀をする光景を見て、これは何だろうな~と。
隣にいた彼女は、「あんたが嫌いな模様がついてるよ」と笑ってましたが。
いいとか悪いとか天皇制イデオロギー云々ではなく、日本人の美意識とか死の観念とか信仰とか情念とかその何となく続いているものは何だろうな~と。

突き詰めれば、日本的な共同幻想の問題だと思います。
つまりは、自分自身の問題。
そういう事を考えているから、自分はそういうものから自由であり相対化していると思うのもこれまた愚劣だ!!と自分に言い聞かせます。

これは、日本浪曼派批判序説の本の中に収録されている小林秀雄さんの「私小説論」を論じた<社会化した私をめぐって>と<転形期の自我>を読んで考えさせられた事でもあります。
近代の日本が(その前からその素養があったといえ)行き着き、今も続く病理がここにあると思うので。
小林秀雄さんが提唱した日本的な美の感性(=死の感性、靖国神社に通じるものだと思います)を拒否したいから、直接に読んでみたいと思いました。
でも以下の小林秀雄さんの言葉は、痛感させられました
芸術作品を一般社会関係に還元する戦の困難を深刻に悟れ」。
でも悟りすぎると、美に沈殿するしかないのかな~と思うし、やはり耐えるという事をするしかないと思います。

長くなりました。それでは、また。
(gotcha1977)








2012年8月10日金曜日

無題。

昨日は、じいちゃんが気絶し、起きて喉が渇き、色んな物が混じった川の水を飲み、生き残った日か・・・。
生き残ってる自分にとって、この日は、祈りの日や悲劇の日なんかではなく、国家廃絶/その後の世界を見たいと欲望する日であります。
fight war,not wars!!!!!
そんな中、テレビの中では、「打倒中国」の声がこだましている。

さて<筑豊>と呼ばれている地域に住んで、1年が経ちました。長﨑とも博多の方とも違う空気を感じます。
筑豊、長崎・・・なにか日本の近代を表す呼び名かもしれません。
ボタ山と呼ばれてるものを初めて見た時は、感慨深いものがありました。
こっちに来てすぐの頃、家の周りで土いじりをTKさんとしていたら、<黒ダイヤ>のカスが出てきた時は、ビックリしました。

最近の自分の体調は、上向きです。昨日、いつもの病院に行ったら、「後は皮膚が柔わらくなるだけ」と言われました。起きて背伸びが出来るのも嬉しいです。今まで身体を伸ばすと身体が切れるようなピリピリ感があったので・・・。
先日、TKさんの見舞いに姐さんと行き、久しぶりに3人で真剣な話が出来た悦びが体調にもいい影響を与えているのかもしれません。
まだ終われない・・・。

最近、読んで良かった本は、
・辺見庸さん「瓦礫の中から言葉を~わたしの死者へ~」
・中野敏男さん「詩歌と戦争~白秋と民衆、総力戦への道」
・吉本隆明さん「情況への発言~全集成1.1962-1975」

最近、よく聞いてるのはBUCKTICKの<エリーゼのために>を特に。
解り合ったり 分かち合ったりしてるけど やさしかったりするけど 君がホントに欲しいのはソレじゃないんだ」という箇所の歌詞にドキっとしました。

自明の言葉や、道徳的な言葉にはホントにうんざりします。

今日は、特に(!!)まとまりない記事になりました・・・。

最近、GOTCHAメンバー3人が単純にビックリして嬉しかった事は、マレーシアパンクスのRさんが、こんなTシャツを作ってくれて送ってくれた事です。
それでは、また。(gotcha1977)











2012年6月7日木曜日

DEAR 「US」

みなさん、こんばんは。
前回の投稿から、早くも約3カ月も経ちました。

体調の方は、医者から「卒業は見えてるよ」と言われているので、後少しかな~と。
まだ皮膚のピリピリ感や所々ドス黒くなっていますが、完治に向かっているのが自分でも分かります。春先くらいまでは、起きてから1時間くらい皮膚のピリピリ感でうずくまっていたのですが、それも無くなってきました。
まず何よりも下着が血だらけというのがないのが嬉しいです。酷い時は、多分寝てる時にかきむしり起きると色んな所に血が・・・。
耳も酷かった。耳の外側はかさぶたで、耳の内側からは汁がポトポトみたいな。
だから枕カバーも凄い事になっていました・・・。
だから「卒業・・・」と言われた時は、ホントに嬉しかったです。

ある友人に「アトピー日記」すれば良かったのに!と言われましたが、今思うとすれば良かったかな~と思うけど、その時は余裕なかったです。
酷い時は、訳わからない事を一人でブツブツ言っていたみたいで、彼女によく「しっかりして!!」と言われました・・・。これは、いつもか・・・。

 来月は、楽しみな事があるので気を抜かずに体調を整えていこうかな~と。

今日の本題に。


 
ついにリリースされました。誘って頂いたA-cclaim collectiveにはホントに感謝しています。A-cclaimの声明もブックレットに掲載されているので、3 way splitという感じです。
GOTCHAは、「DEAR US」・「WE SHOW THEM US」という2曲を収録させて頂きました。

以下に書くことは、早くも今回の反省と今後、表現する事において何を追及したいか!?という事です。特に歌詞の面において。勿論、今回もその時は妥協なく創った訳でありますが。

PROTESTERAとのスプリットレコードから、「WE」「OUR」「US」「OURSELVES」という事に拘った訳でありますが、
その内実を自分(達)自身の中から捉えられていないのではないか!?と。
また表層的な政治づらした表現に終始しているのではないか!?と。
青いものに留まっているのではないか!?と。
そういう感性は、まさしく天皇制に象徴される日本的な共同幻想に吸収される感性と似ていないか!?と。
常に死をはらんでいるこの共同幻想の元における日常に拮抗できるものをもっと自分(達)自身の中から表現しなければ。
そしてポリティカルというもの、WEというものの重さにもっと拮抗しなければ。

それっぽい言葉でもなく、解りやすい言葉でもなく、代弁するような言葉でもなく、理解者に向けての言葉でもなく、あらゆる重さに拮抗できる言葉を自分(達)自身の中から絞り出さなければならないと思っています。
絞り出してこそ、何かに出会えるのだと思います。

(もっとちゃんとそれこそ絞り出して今ここで書くべきなんでしょうが)短いですが、上記のような事を最近よく自分に問うています。

それでは、また。 (gotcha1977)

2012年3月20日火曜日

伝達不可能な領海を泳ぎ渡る快感を共有したい。(森崎和江さん)

みなさん、お久しぶりです。
約1年ぶりの更新です。

一昨年の年末から、バンドではなく個人的に色々とありました。

まず、色んな事情(自分がそうしたかったから)により福岡に戻りました。
福岡→長﨑→福岡という事が半年の間にあり、新居にも落ち着いた昨年の9月中旬から現在までアトピー性皮膚炎のために自宅療養をしております。

元々軽度の(医者の判断によると)アトピーだったのですが、色んな要因で気になるほどに症状が出てきたので薬を塗りたくる治療!?ではなく、根本から改善しようと思い、そういう病院に通い始め、ステロイド薬の離脱状況が始まったのが9月中旬。
ある程度の覚悟はしていたのですが、始めの何か月間は、痒みと痛み(今もありますが)が一日中襲い、
ホント(体験者の方がブログに書いてたように)生き地獄みたいでした。
正常になろうとする皮膚の増殖も始まり、尋常ではない皮膚の量がポロポロ落ちました。痛みと痒みで起き上がる事も出来ない日々もありました。顔もひどくて、顔の形が変わるくらいになり、目の周りはかさぶたなどで目を開けるのも痛かったです。身体もまるでクラストパンツみたいでした・・・。
医者からは、冷えとりと薬からの離脱状況に耐えなさい!!と言われましたが、途中ホント気がおかしくなりそうになりました。
彼女に「楽にしてくれ!!」と言ってしまった事もありました・・・。
「バンドとかどうするんね!?」の一言で、なんとか耐える事が出来ました。

今は、完治までもう少しの所までやっときました。長かった~。長い!!。

励ましてくれたりとか色々、なんと言葉にしていいか分からないですが、友人たちにはホントに感謝しております。
なんとか耐える事が出来たのもあなた方のおかげです。
酌み交わしたいお酒が溜まっているので、楽しみにしています。
この療養中、考えていた事は、森崎和江さんの言葉を借りれば、(もっと真剣に)「お互いに生きていることを意識しあえる間柄にさせてください。」ということかな。

ストップしているバンドも次のステージに向けて準備したい。
TKさんに駄目だしされたい・・・。合宿したい。

今日のタイトルにいきます。
森崎和江さんの本との出会いは、元々Oさんの影響で読んだ谷川雁さんの「原点が存在する」から始まります。昨年の春頃、本屋で見かけて購入した「サークル村の磁場」という本に谷川さん・上野英信さんと並んで紹介されていて、直接に著書を読みたいと思いました。
ステロイドの離脱状況が本格化する前まで、「非所有の所有~性と階級覚え書」・「ははのくにとの幻想婚」・「異族の原基」という3つの本に夢中になりました。

読んでいて、1つ1つの言葉に問い詰められている感じがして、息をつけないというか、息をついたら駄目だという感覚になります。
1ページを読むのに、かなりの時間がかかる箇所が多々ありました。
なぜなら自分に問う事が多すぎるから。自分の浅はかさが多すぎるから。
自分を壊される感覚。それを余儀なくさせられる感覚。燃える感覚ではなく、緊張させられる感覚。

今、一番自分に問うている事は、以下の言葉です。
私が行なえることは、私の方法論を圧縮し続けることで、わが存在の辺境をことばにして提出することである。そしてそのことで、私の対極から固有の声を聞くことだ。その相互性ぬきに、私たち民衆の、内発的な共闘関係はありえない。(生のはじまり・死のおわり)より」

自分の辺境とは何か!?自分は、それを見ようとしているのか!?それを突き詰めようとしているのか!?ただ表層的な言葉、身振り、好みに終始しているだけではないのか!?自分は、たたかいというものをホントに必要としているのか!?
もっと見なければ。もっとえぐらなければ。自分の底には何があるのか!?を。そこに降りなければ。
そこから逃げてはだめだ。そこに拘る事こそが、何か普遍的な事を自分自身によって創造する事ではないかと。

他にも色々と考えさせらる事が、3つの本にはつまっています。
「日本人性」というもの。「言葉」というもの。「関係性」というもの。etc

またたたかい方について、今、一番自分の頭にある言葉は、以下の言葉です。
私は実存感覚の稀薄な階層が、日本帝国主義を重層的にしゃべることで自己と世界の接点を探り出す方法を否定しない。けれどもその方法は第一階段であって、そこから自己否定へふみ出し彼固有の歴史性(そしてそこに流れている彼ら階層の特殊性)をのりこえる方法を創造することをのぞんでいる。社会の認識と存在の認識とが噛み合うとき、ようやく私たち民衆個々人へ浸透している日本帝国主義は破れはじめる。また民衆個々人を媒体として構築されている支配権の具体性に穴があきはじめる。(言葉・この欠落)より」


最近、よく聞いてるのは以下のような音楽です。
・godspeed you!!black emperor :lift your skinny like antennas to heaven ・slow riot

・CHUMBAWAMBA:90年代のアルバム全部

・THE POP GROUP :1st、2ndアルバム

・MARK STEWART :1st、2nd、edit、children of the revolution/nothing is sacred


・KILLING JOKE :pandemonium・democracy

・Missing Foundation :your house is mine・ignore the white culuture

・Shades of grey :freedom/incarceration

・PROTESTERA :01.05.1886

・環ROY :あっちとこっち
(public enemy以外でちゃんとヒップホップとか聞いた事なかったんですが、タイトルにひかれて。言葉というものを凄く大切にしていると思いました。断絶がある<と>。固着しない<と>。無限の可能性があるかもしれない<と>。)

MARKさんとCRASSのEVEさんのツインボーカルが、なんともたまりません!!
ニューアルバムも出るみたいです。


それでは、また。あと少し気を抜かずに養生します。
(gotcha1977)