2013年11月22日金曜日

田原坂・西南戦争と宮崎兄弟。

みなさん、お久しぶりです。

今日のタイトルに関連して、先日、熊本に行きました。
植木町にある「田原坂」とその資料館などと、荒尾市にある「宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館」へ。

田原坂は、小学生の時から行ってみたい所でした。
自分が小学生の時、年末時代劇スペシャルみたいな番組が毎年あり、その中の一つに田原坂と題されたドラマがあったからです。
「白虎隊」・「田原坂」・「五稜郭」・「奇兵隊」というタイトルがついた一連のそのスペシャル番組は、ビデオに録り、何回も見ました。
小学生の時の修学旅行は、熊本だったのですが、阿蘇山と熊本城とグリーンランドだったと思うんですが、田原坂が行くコースになくてガッカリした事を覚えています。
でも熊本城の中の展示コーナーに西南戦争関連が結構あって、興奮したことを覚えています。

歴史好き(この言葉の使い方もおかしいですが、歴史が好きとは何か!?とか今なら考えますが・・・)になったのもこの年末時代劇のおかげで、それから、マンガ日本の歴史とか星亮一さんが書かれた會津藩関連のものや新選組関連のものや高杉晋作さん関連のものの本を読みました。

多分、あんまり意味も解らず読んでいたと思うんですが、そのテレビドラマに出てた歴史上の人物の詳しい情報に触れると興奮したんでしょうね・・・。なんか次々に買って貰っていたような気がします。
ドラマ・田原坂にも出てくる乃木大将を扱った司馬さんの小説「殉死」を買ったのもこの頃だと思います。
多分、というか絶対に意味が解らずに読んだと思いますが、「なんで旗を取られたくらいで死ぬ原因になるのかな!?」とは思ったから、読もうと思ったとは思います。
司馬さんで読んだ事あるのは、新選組の土方歳三さんを扱った小説「燃えよ剣」くらいです(だから司馬史観とか呼ばれるものはわからない)。
これもドラマ・五稜郭の影響で読みました。

またドラマ・奇兵隊を見た影響で高杉晋作さんとかの伝記本を読んでいたので、中学1年の研修旅行で、初めて萩に行った時はホントに興奮しました。
今年の夏頃、何年かぶりに行きました。
まず萩の中で訪れたのは、西南戦争にも関連(!?)しますが、前原一誠さんの旧宅でした。
それから高杉さんちとか桂さんちとか歴史資料館とか巡りました。

巡りながら考えていた事は、高杉さんとか吉田松陰さんとか(もし長生きしていたら)は、伊藤博文さんや山縣有朋さんらが構築した「明治国家・日本」をどう見ただろうな~!?。
明治国家の統治機構のみごとな完成度は、「芸術品としての国家」と言われたらしいが、自分は、民衆の一人として、なんとも言えない気持ちになりますし、悔しい思いもします・・・。
その統治機構のほころびが、早くも明治30年くらいに表れ、そこからあっちにいきこっちにいき、今の自分がいる。
森崎和江さんの言葉に以下のものがありますが、われわれ自身による実験室ありの統合は如何に可能か!?という事を考えます。今、読み返している橋川文三さんが書かれた「柳田国男論集成」の各文章が、考えなければならないという想いにますますさせます。

日本には、人々の統合の本質は民族的優者に対する情念だという感覚が、天皇制と共にしみついている。円錘型感覚の民族である。(民衆の民族的出逢いを)」

(話をタイトルに戻して)
橋川文三さんや渡辺京二さんの言葉に触れて、小学生の時の頃を思い出して、「そうだ、田原坂に行こう!!」と思ったわけです。

特に田原坂に行こうと思ったのは、橋川さんが書かれた「西郷隆盛紀行(この本の中の安宇植さんとの対談・<日本の近代化と西郷隆盛の思想>は、ホントに色んな想いにさせられました)」という本や橋川さん対談集の「歴史と精神」という本の中の前田愛さんとの対談<明治初年代の可能性>や松本三之介さんとの対談<肝胆相照・西郷と海舟>を読んだ事が大きいです。

宮崎兄弟(を知ろうと思ったのは)資料館に行こうと思ったのは(何か今に活かせるものはないか!?、人間の可能性を信じていいんだ!!と自分に言い聞かせるために)、鹿島拾市さんが、アナキズム誌13・14号で書かれた「宮崎滔天の<世界革命>」がきっかけでこの兄弟に興味が湧いて、渡辺さんが書かれた「北一輝」という本の中の<西郷党の落し子>という章で、自分の中でもっと勉強したいという決定的な想いになりました。

まだ読んでいないけど、実際に資料館に行ってから、渡辺さんが書かれた「維新の夢(ちくま学芸文庫)」という本や鹿島さんも上記の文を書く上で参考にしていた上村希美雄さん(宮崎兄弟伝・龍のごとく 宮崎滔天伝を書いた)が書かれた「民権と国権のはざま 明治草莽思想史覚書」という本をまずは読みたいと思っています。

この資料館は、よくありがちな郷土の英雄をまつりあげるようなものではなく、自分にとっては、思想的決断を促す勇気を培養させるような資料館でした。
2階建ての小さな資料館でしたが、展示されているものに興奮して2時間以上いました。
展示されている彼らの言葉が重すぎました。
「自由」・「土地均享 人類の大権」・「革命」etcという言葉の数々に。

特にずうっと見ていたのは、宮崎民蔵さんのコーナーです。
「大逆事件と熊本評論」のとこからは離れられなかったです。
また民蔵さんが購読していたという世界各国の社会主義誌の中に、クロポトキンさんが書かれた
無政府主義の道徳」が、ありました。
(自分が、この本を初めて読んだ時は、何とも言えない気持ちの良さを感じました。)

資料館で買った資料館発行の「宮崎兄弟の世界へ」という本は、まだ読んでいないけど、じっくり読みたいと思っています。


それから田原坂へ。
(画像は、田原坂資料館前)

資料館は、色んなものが展示されていました。

乃木大将(その時は、大将ではありませんが)が、奪われた小倉歩兵第14連隊旗のレプリカも展示されていました。
ここは、資料館の展示物よりも外の「西南の役戦没者慰霊の塔」の薩摩軍と政府軍双方の戦死者の名前と出身地が刻まれた石碑をずうっと見ていました。
薩摩軍よりも政府軍の一兵士は、この戦争をどう考えていたんだろうな!?とか思いました。

また隣にいた彼女は、「この辺に住んでいた人々は、自分が住んでいる所が戦場になった時、どんな事を思ったかな!?」とか言っていました。

この辺りの民衆だけでなく、民衆はこの戦争をどう思っていたんだろうか!?
「御一新」とは!?「近代」とは!?「文明」とは!?「国民国家」とは!?
そして自分は、この「歴史」をどう受け止め、どんな言葉を吐き、どんな事を信じるのか!?

それでは、また。
(gotcha1977)