2009年7月14日火曜日

読書(1)

この記事の文責は、gotcha1977です。最近、この本を少しづつ読み始めてます。「アナキズム誌(http://a.sanpal.co.jp/anarchism/」でよく名前を見たり引用文がよく掲載されてたので前々から読みたいな~と思ってたんです。



こう見えて、最近色々と「喜び」や「しつこい叛乱」や「繋がるとは何か」や「共に」とは何か!?を思考・試行で日々慌しく過ごしてます(笑)。「実行」としてもっともっと新鮮なものにしたいです、共に。それが自分が、バンドメンバーやパンク同志、仲間達から学んでることです。「きれいごと」ですかね!?
「きれいごと」が、バクーニンさんの言葉を借りれば、「破壊への情熱は、同時に、創造的な情熱である」に通じる事もあると思うんです。

**また前回の記事の「賛同」まだまだ募集してます!!どうぞ宜しくお願いします!!!!!**

それにしても簡単に言葉は吐けないな~と。「吐く」事に対する恐さが自分自身があります・・・。

問題は、表現するということが、対自・対他的にもつーある場合には行動することよりも重い責任性をもたらすその自覚いかんにある。責任の負えないようなことは始めから言うべきではなく、また一たび表現すればそれは必ず自己を運命化するものであることぐらいはわきまえているべきだ。そして、その運命化がたとえ、将来に愚狂に近い行為を結果しようとも、責任を負うなら、その<狂>はむしろ<仁>に近いものとなるだろう。(高橋和巳さん・わが解体より)」

また高橋和巳さんは、「私を支えるのは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」と書かれてますが、
若輩者の自分は、文学を「パンク」に当てはめて読んでおります!!
以下の言葉とか自分がパンク同志や仲間達と思う「パンク」にも当てはまると思います、
文学者が本来もつ、いかなる権威によっても自己正当化せず、いかなる批判をも避けない文学精神を分有しているはずだから。」

罵倒ではなく「批判」を!!
また落ち着いたら、自分の拙いながらもこの本から考えさせられた自分の想いをちゃんと書きたいと思いますが、今日はこの辺りで!!

またパンク同志のこの記事「ミラダの強制排除と<われわれ>の憂鬱」には、ホント熱くなりました。是非、「パンク」以外の方々もご一読下さい。「パンク」は、<しつこい叛乱>のために共に!!を実行したいと思ってますので!!!!! http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/blog-post.html

「自分自身のオトシマエのため あんたのバネになりたくない(Gotcha・拒否と脱却より)(笑)

ちなみにSin Dios(メンバーの中にCNT組合員もいるらしいですが。バンド自体は、現在残念ながら解散。でもパンクは継続中だと思います!!)のスペイン!!「1936」という曲はいつ聴いても燃えます、というか何とも言えない感情になります。
1936年、民衆はハリケーンのように立ち上がる。恐れることなく資本主義に立ち向かって歩む。自分の夢のような強い理想を手に入れる。リバータリアン共産主義、社会革命。」

国家と国旗は俺たちにとって糞も同様であり、俺たちが認める唯一の人間的条件とは地球規模の抵抗で搾取されている人々のものだ、ということを世界に示すときなのだ。
これが俺たちが今日ここにいる理由である。パンクは社会戦争のもう一つの戦線だということ、そして、俺たちの前線で、俺たちはアナキスト叛乱のサウンドトラックに寄付していることを思い出せ、要求するために
。(Sin DIOSの言葉より)」

0 件のコメント: