2009年11月25日水曜日

いつもの雑談です。

ある歌手が、有り難がたがって、ある「勲章」を受けると言う。
今までさも、「われわれ」の歌を歌ったように言われてる歌手が。
いや、誰かの言葉に期待すべきではない。
仲間の言葉を借りれば、「<我々>の言葉が必要だ」という事か・・・。

今、全てが「キミガヨ」に聞こえる・・・。

高橋和巳さんは、<人間にとって>という文章で下記の事を言ってます、
たとえば夏目漱石における博士号辞退、~~の芸術院賞拒否、近くは~の文部大臣賞辞退など。
 人は、褒賞と刑罰の不可分な相関関係に必ずしも注意しないから、こうした国家機関からの称号や恩典授与の拒否を、ともすればその人の性格の問題に還元してすませてしまう。要するに彼はひねくれ者だったのだ、と。しかし、これは夏目漱石の場合にもっとも明瞭なごとく、あくまで思想の問題だったのであり、国家の側から言えばその威信の損傷は、裁判の拒否にあい等しい。
 (略)
要するに学問芸術の業績の判定・推進者が国家およびその機関であることに彼は反対したのである
。」

民衆が欠けている。」とは、こういう事か。
自分は、「美学」という、ともすれば「それぞれ」に陥る学を拒否したい。
自分は、自分達自身の共有すべき「哲学」を模索したい。
「by ourselves」とか歌うオノレ達の「歌」もまだまだだな~と。
ただそんな事を思った今日の夜。(gotcha1977)


 

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