2010年3月24日水曜日

「共有」、「相互批判」、「衆議」とは何か!?

大それた今日のタイトルですが、漠然とそういう事を最近は特に思います。
「ライブ」・「現場」は、至る所にあると思うんです。「特別な場所」だけではなく。
ライブとは何ぞや!?現場とは何ぞや!?
それぞれの生こそが、最前線であり、ライブであり、現場だと思います。そのそれぞれの日々の中から、いかに共有は可能か!?いかに相互批判は可能か!?いかに衆議は可能か!?
その過程のなかにこそ、「われわれ」は生まれると思います。
だからと言って「われわれ」という言葉を簡単に吐いていいのか!?、オノレよ!!という日々です。
果たして、オノレは「現実と現実を繋ぐ=しつこい叛乱」・「闘いを共有物として生産しようと努めている」のか!?と・・・。

ただ何か変な<勇ましい>言葉に、<勝ち負け>に終止してるだけではないかと・・・。
「気合」とは何ぞや!?「ちから」と何ぞや!?

パンク同志が、ポーランドのパンクバンドLOSTのレビューで紹介してた想いとはこういう事ではなかったのか!?と今さら強く思います。
http://acclaimcollective.blogspot.com/2009/07/this-weeks-recommendation-from-acclaim_20.html
盲目の私たち
 私たちは外側の世界に自分を閉じる
 私たちは自分が罠にはまっていることがわからない
 もう一つのシステムを造り上げることによって
 (LOST-different us)」

またこれは、相互批判・衆議という(ホントこの実践は難しいですよね・・・)ものは、ドイツのパンクバンドLOST WORLDが言った下記の言葉にも通じるものがあります、
「私たちの怒りや恐れを私たち自らに向けるかぎり、システムは絶対に崩壊しない!!」

上記のような想いは、最近繰り返し繰り返し聴いてる、アイルランドのこの2バンドを始めとする「パンク・スプリット」音源からヒシヒシと感じる熱情です。

特にEASPA MEASAの1曲目の<FOREGONE(征服の事実は続く、ヤツラの顔がいくら変わろうが。と言った意味の曲)>と2曲目の<AWAKEN(自分達自身で!!という立場をあくまで貫く)>という想いの流れが、凄くグッときます。
「YA BASTA(うんざりだ!!)」という想いに溢れてます。
また2曲目の、なぜこういう曲が生まれたか!?のコメントには、「(かなり意訳しますが)この病的な狂気の、非人間的なシステムを粉々にするためにも、私たちはまた、私たち自身の権力性にも対処しなければならない、新しい社会的な生へ向けて」。

ただ一人の「パンクス」として、まだまだ<共有>すべき事は多々ある。
他者の自由は、私をさらに自由にする」をしたいために!!

ちなみにこのパンク・スプリットの以下のパンク同志のレビューにもある「オオカミ」という事で、
http://acclaimcollective.blogspot.com/2010/02/distro-y-easpa-measa-divisions-ruin.html
思い出す本は、以下の本です。

この本の中に以下の記述があります、
ぼくらは、開発という名の西欧文明の侵略によって滅ぼされたニホンオオカミの復権への想いを込めて<狼>部隊を名乗ったのです。<狼>は、それだけで現代文明批判の意味を持っていると考えたわけです。そして、社会のはみ出し者、嫌われ者の象徴とされる狼のように、ぼくらも市民社会から排除された底辺から、現体制を覆えしていくんだ、と。」
今も獄中で(今年で35年目になるようです!!)闘ってる方々の言葉(いろんな葛藤や自己批判があっての)を簡単に「燃える」とかいう言葉で表す事は出来ませんが・・・。
またこの本の中で、自分が一番何度も何度も読み返す言葉は、以下の言葉です、
非人間化を強いる弾圧をはねのけて、人間性を取り戻し、管理されて、<生かされる>のではなく、<自分で生きる>ための闘いです。だから、おおらかに誰かを愛し、交流を続けることは獄中者にとって大事な闘いなわけです。」

(gotcha1977)

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