2009年9月10日木曜日

「現実」のハイジャックは至るトコに・・・。クソ!!


(「一日だけの主権者になることが絶えざる主権者とならないことへの免罪符となる」埴谷雄高さん)

どうもgotcha1977です。今日も色々と自分自身に「あ~あ」という事があり、眠れずに。別に浸ってる訳ではありませんが・・・(笑)。

今日のタイトルですが、前回の雑談記事のタイトルの追記的になりますが、自分にとって「現実とは何か!?」、「生・力(のアレンジメント)とは何か!?」を考えてしまいますね。上記のアートワークが表してる通りに。
上記のアートワークを説明する言葉を(前回の雑談記事タイトルのCrimethincの声明文の中で自分が一番、グッとくるトコロ)以下に、
「私たちの相手は私たちの努力を妨害し、私たち自身の目的のためのこの問題を不明瞭にする連中であり、政治家とテロリストに同様の正当化を用意し、不正義の修復のために作用する公正なものの中に場所を作るより、むしろ恐怖や戦争によっておおい隠された受動的な観客の世界を支配したい連中だろう。」
「私たち」の内実を工作しながら、「連中」というものをはっきりさせたい!!

<当たり前>(とは何か!?を留まらず問い続ける問題は常にありますが。<われわれ>という未知の内実の言葉を吐くために、吐きたいために!!)の事を書きますが、<国民>の権利と義務とか言うクソたちの<国家>なんかクソくらえ!!です。
「征服の事実」は続く・・・オノレ自身が加担しながら・・・。
ゼロ・トレランス(非寛容)は、ますます・・・。排除は、ますます・・・。
連中が言う<愛>とやらには、連中同士がする<握手>には、死臭がする・・・。
連中自体ではなく、連中と言う存在を無化したい!!
無化への過程を創る中で、連中に対して<i don’t care>という御目出度い態度ではなく。

そんな事を思いながら、読み返したくなる言葉を以下に紹介します(もうすでにご存知の方々も多いでしょうが)。
金子文子さん(http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/index3.html)の文章に「私自身の仕事へ」というのがありますが、いつも連中を見る度に「クソ~」と思いながら思い出します、
たとえ私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身には私達自身の仕事というものがあり得ると考えたことだ。」

征服の事実の上に築かれ続けてる連中の社会というものに、自分は他者と私達自身というものをどう築けるのか!?と・・・。真に(例え一瞬でも)私達という言葉を吐けるのか!?と・・・。

また以前に頂いた、アナキスト杉藤二郎さんが書かれた「筑豊の黒旗」という本の中で以下のような言葉があります、
政権の存する限り我々の闘争は不断につづけれるだろう。」

我々とは何か!?仲間とは何か!?、連中も(こそ)使いたがる言葉「我々」(仲間でもいいが)とは<明確>に区別する言葉をはっきり打ち出すことが<われわれ>には出来るのか!?が今(も!!)問われてる(偉そうに若輩者の自分が言うのもなんですが)。
パンク同志の言葉を借りれば、「現実と現実を繋ぐ」とは何か!?・・・。

いつもように、何が言いたいかよく分からない雑談になりましたが、連中という存在を見る度に、以下の水田ふうさんの「あ~あ、<選挙>」という文章が自分を問い詰めるのです。そして「われわれ」とは何か!?を真に今ここで自分に問いたいのです。「共に」とか簡単に吐いてるかもしれない自分自身に。
水田ふうさん(いつも何かとありがとうございます!!)・「あ~あ、<選挙>http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/nro3_3.htm!!!!!!」


そんな今日の夜もnagafとfrom the depths(を始めとする)「パンク」スプリットcdです。

from the depthsの<最後の伝達>という曲で「They will kill us in the streets.We will stand together」という歌詞がありますが、自分はこの「パンクス」たちと真に<us,we,together>と呼び合える事が出来るのか!?と聴きながら思っています。
前回の記事にも色々書きましたが、自分の雑談を気にせずに、このパンクスプリットcdは、パンクス以外の方々にも是非!是非!!是非!!!聴いて歌詞を読んで頂きたいです!!!!!

そして!!!!!リンク(dear us)のトコに、大阪の「自由労働者連合(FWF)」を追加させて頂きました!!Kさんを始め、どうもありがとうございます!!!!!

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