竹中労さんが、書かれた本「断影 大杉栄」と言う本の中に以下の記述があります。
最近、特に想うことであります。
今流行り(!?)の<青春ドラマ>みたいな言葉ではないよ(笑)。
「指導・査問・私形・除名、余談だが日共にかつて属していた筆者は、大正アナキズムの同志に対する無限の 寛容を想う。たとえその寛容さゆえに、ボルシェビィキとの争いに敗退したとしても(左翼運動史家はおおむねそうした観点にたっている)、<革命の隊伍>は仲間への絶対の信頼の上にきずかれ、結ばれねばならぬのだ、と。規律とは内発する個別の意志によるものであって、組織の決定や指導部の命令に強制されるものではない。(194ページ)」
誰それよりどうのこうのとしか、勝ち負けにしか思えない事には、ホントうんざりです。
<こよない(=このうえない)生>は、至るトコに。
<こよない闘い>は、至るトコに。
見えない生/死・見ない生/死は至るトコに。
キレイ事かもしれないし、いい人ぶってると思われるかもしれませんが、自分の想いです。
そして、何よりもそんな事を「仲間」に教えて頂き、自分は今日も生きてる。
この瞬間にも<ヤツラ>は肥えてるのに、自分自身で「われわれ」をしぼませてどうするんだ!?
(gotcha1977)
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